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畠山麦の編集履歴

2021-04-29 21:20:10 バージョン

畠山麦

はたけやまばく

「秘密戦隊ゴレンジャー」の「キレンジャー/大岩大太」役で知られる俳優。

その他の例


概要

1944年生まれ。長野県出身。本名は畠山昭夫(はたけやま あきお)。


陸上自衛隊を経て役者の道へ進む。


柔道一直線」や「ガッツジュン」等のドラマに出演後、「ウルトラマンA」・「仮面ライダー」・「ミラーマン」・「流星人間ゾーン」のゲスト出演を経て、1974年放映の円谷プロの「猿の軍団」に人間を憎む猿の警察署長ゲバーを演じ、翌1975年スタートの東映スーパー戦隊シリーズ第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」では、初代キレンジャー大岩大太役でレギュラー出演。途中、出演する舞台とのスケジュールの問題で一時期降板するものの放送中に復帰し、子供目線のひょうきんで愛くるしいキャラクターを好演して、戦隊イエロー=カレー好きor戦隊イエロー=巨漢のイメージを定着させた。


ちなみにゴレンジャーの俳優陣ではメンバー最年長であり、歴代のスーパー戦隊の戦士の演者の中でも最年長かつ唯一の戦前生まれである。


※なお、第45作「機界戦隊ゼンカイジャー」の段階で、カレー大好きを強調した黄色は初代キレンジャーと「太陽戦隊サンバルカン」のバルパンサー豹朝夫だけで、次郎さん体型な黄色もまた、初代と2代目キレンジャーと、「大戦隊ゴーグルファイブ」のゴーグルイエロー黄島太と「鳥人戦隊ジェットマン」のイエローオウル大石雷太だけだったりする。


キレンジャー役での出演は、小説家すがやみつるが漫画家時代に、すがやの従兄弟の事務所に畠山が所属しており、師匠の石ノ森章太郎宅をすがやが訪れた際に、秘密戦隊ゴレンジャーのキャストについて打ち合わせにきていた東映プロデューサー平山亨に対して、すがやが畠山をキレンジャー役にプッシュし、その場で即決となった事によるものである。

また、すがやとは、彼が上京した頃からの友人でもあった。


その後は、映画やドラマに出演。ゴレンジャー収録時に家が近い事で車に同乗させてもらっていた宮内洋主演の「快傑ズバット」に用心棒のテニスの陣太郎で出演した。これは宮内が、畠山に「ぜひ出演してほしい」と直接オファーしたからである。


しかし、ゴレンジャー時代の共演者・誠直也が出演した「特捜最前線」の収録待ちをしている最中の1978年7月13日に自ら命を絶った。

誠氏本人のコメントによると、特捜最前線の収録でNGを連発する畠山を気遣い「明日のロケが終わったら飲みに行きましょう」と声をかけ、畠山も愉しみにしていた。しかし翌日も畠山の撮影はなかなかOKが出ず、先に撮影を終えた誠は翌日の再会を約束し、やむを得ず先に帰る。

翌朝は火葬場でのロケから開始したが、一向に現場に現れない畠山を心配したマネージャーが自宅を訪ねると、自宅で首を吊った状態で亡くなった姿を見てしまい、ショックを受けたという。

誠はこの突然の事態について、「ツラかったよ、あれは……」と後年のインタビューで語っている。


友人であったすがやも当時、自分が気をきかせて売り込んだことに責任を感じ、滅入っていたことを明かしている。


『猿の軍団』で共演した潮哲也とも仲が良く、飲食店に出かけ、一緒に飲みに行く間柄であった。支払いが不足した場合は畠山が支払っており、潮も畠山の自殺を知った際、「面倒見の良い人物で、後年訃報を聞いたときはショックだった」と述べている。


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