山本徳郁
やまもときっどのりふみ
概要
山本“KID”徳郁は日本の総合格闘家。1977年3月15日生まれ、神奈川県川崎市出身。戸籍名:岡部 徳郁
レスリングの五輪(1972年のミュンヘン五輪)選手だった父(山本郁榮)を持ち、姉と妹も世界選手権を制覇するなどレスリングで名を馳せた一家に生まれ、自身も高校時代は単身でアメリカに修行、アリゾナ州の王者に3度輝き、日本に帰国後も全日本学生レスリング選手権大会優勝(フリースタイル58kg級)など数多くの実績を残すもオリンピック出場は叶わず2000年、総合格闘技に転向。
修斗でランキング2位まで上り詰めタイトルマッチまであと1歩までいくも、2002年9月の勝田哲夫戦で試合自体は圧倒するもレフェリーストップを無視して攻撃を繰り返したために120日間のライセンス停止処分を食らったり、2003年12月タイトルマッチ前にケガで欠場など、修斗とはウマが合わなかった模様。
2004年には「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」に参戦。2005年の大晦日には「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」で優勝。
その後も2006年5月のHERO'Sに於ける宮田和幸戦では伝説の4秒KOなど活躍。
しかし2008年7月の手術以降は良い実績を残せず、2011年からはUFCに出場もしたが一勝も上げることはなく、2015年2月28日にロサンゼルスで開催されたUFC 184が最後の公式戦(しかも無効試合)となってしまった。
2018年8月26日、インスタグラムでがんの闘病中であることを公表したが、すでに病状は悪化。9月18日に移住先のグアム島に於いて41歳の若さで亡くなったとツイッターで公表された。