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九条道家の編集履歴

2021-06-23 17:05:51 バージョン

九条道家

くじょうみちいえ

九条道家とは鎌倉時代の公卿。

概要

九条良経の男子、官位は従一位、摂政関白左大臣


プロフィール

時代鎌倉時代
生誕建久4年6月28日(1193年7月28日
死没建長4年2月21日(1252年4月1日
官位従一位、摂政関白左大臣
主君土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族九条家
父母父:九条良経、母:一条能保の娘
兄弟道家立子、ほか
西園寺倫子(西園寺公経の娘)
教実良実頼経実経竴子、ほか

経歴

建久4年(1193年)に誕生、建仁3年(1203年)に元服。元久2年(1205年)に従三位となり公卿に列する。同年に権中納言。承元2年(1208年)に権大納言。建暦2年(1212年)に内大臣に就任。建保3年(1215年)に右大臣。建保6年(1218年)に左大臣に就任した。翌年の建保7年(1219年)に将軍源実朝が落命し将軍の後継者として子である頼経を鎌倉に送った。承久3年(1221年)に摂政に就任したが同年の承久の乱で摂政を辞任する。嘉禄2年(1226年)に頼経は征夷大将軍に就任すると2年後の安貞2年(1228年)に関白に就任。文暦2年(1235年)に摂政に就任。嘉禎3年(1237年)に摂政を辞任し翌年の嘉禎4年(1238年)に出家した。後に孫の九条頼嗣鎌倉幕府に追われてしまい道家は失脚。建長4年(1252年)に死去。


外部リンク

九条道家 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公卿 九条家 鎌倉幕府


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