概要
名古屋鉄道(名鉄)が保有していた特急車両7000系・7500系の愛称。
1961年(昭和36年)6月に運行を開始。当時進行していたモータリゼーションへ対抗するための切り札として製作された。
イタリア国鉄の車両ETR300「セッテベッロ」を参考に、日本で初めて運転席を前面屋上に上げて展望席を配置するという屋上運転台式の前面展望構造を取り入れたことが最大の特徴であり、「パノラマカー」の愛称の所以となっている。
車両設計においては、例外的な認可箇所を減らすべく監督官庁の指導を仰いだ上で検討が行われたが、なにぶん日本初ということもあり、当の監督官庁も扱いに困ったという。
また、名鉄の車両で初めてミュージックホーンを搭載し、豊橋駅~平井信号場間(飯田線との共用区間の為)を除く全線で使用された。この装備は、今日でも名鉄の特急専用車に受け継がれている。
徹底した事故対策
登場当時は名鉄沿線ではダンプカーの踏切冒進による列車事故が非常に多く、乗客乗員が死傷する事例も少なくなかった。
そんな状況下で展望席を列車前頭部に設けるとなれば、従来の構造では乗客保護には不足と考えられ、社内からは企画に反対する声が相次いだ。そこで、事故対策として標識灯横、ダンプカーのバンパー(更にはダンプの台枠主構造)に高さを合わせて大容量の油圧緩衝器(バンパー)を配置した。エアコンユニットの一部も緩衝材の意図を持って油圧緩衝器近くに置かれている。これらの対策をとり、名鉄は「10トンのダンプカーが80キロのスピードでぶつかっても大丈夫」としていた。
その対策の真価が問われる事故が、運転開始後すぐに訪れる。
運転開始から約半年後、実際にダンプカーとの衝突事故が発生した。ところが、車両への被害は展望席窓ガラスのひび割れ程度で(展望席に座っていた乗客は無傷)、それどころかダンプを跳ね飛ばし大破させている。乗客への被害は、跳ね飛ばされたダンプカーが側面にぶつかった際に側面窓ガラスが割れたことによる破片で8人が軽傷を負っただけだった。この一件は地元紙に「ダンプキラー」として取り上げられている(事故後、この結果を受けた名鉄部内ではダンプカーとの衝突以上に当時残っていた半鋼製車および木造車との衝突を恐れていたという)。
派生型の登場、そして運行終了まで
1963年には車体を低床化し、走行性能を改良した7500系が登場。最盛期には7000系116両、7500系72両の陣容であった。
1973年、支線区増結用として「セミパノラマカー」7700系が登場。計24両が製造された。客室は7000系と同様であるが前面貫通式となっており、展望は確保されていない。1984年には7000系最終増備グループの中間車に運転台を取り付けた改造車の7100系も登場したが、こちらも前面貫通式。
2005年、ホームのかさ上げの都合から床が低く空港線(名鉄空港線)へ乗り入れられない7500系が全廃。2009年には7000系・7100系が全廃された。2010年には7700系も全廃され、こうして7000系列「パノラマカー」は名鉄より消滅し、延べ40年以上にわたる歴史を終えた。
保存車
7000系のトップナンバーである7001編成の両先頭車(モ7001・モ7002)が名鉄の舞木検査場に、2002年に廃車された7027編成のうちの3両(モ7027・モ7092・モ7028)が中京競馬場に保存されている。
舞木検査場の保存車は、モ7001は前頭部がデビュー当時の原形に近い外観に復元されており、イベント時に公開されている。
中京競馬場の保存車は「パノラマステーション」とされており、競馬開催日・場外馬券発売日には車内と運転台を公開している他、場外馬券発売日はミュージックホーンの演奏も可能である。また、モ7092は座席をすべて取り外しており、ビュッフェとして営業している。
余談
なお7700系と似たような車体を持ち、足回りをAL車から流用したツリカケ駆動の7300系もパノラマカー一族に含まれる事がある。
関連項目
- 70000形 2017年に登場した新型パノラm・・・ではなく小田急ロマンスカー。形状、色合いと形式名からして、どうみてもパn( 。製造は豊川の日本車両で、甲種輸送の際は小田急線より早く名鉄線(実際は飯田線との共用区間だが)を走行。
- パノラマエクスプレスアルプス・シルフィード 旧国鉄→JR東日本が保有した同様の展望設備を持ったジョイフルトレイン。前頭部の鋼体構造についてもパノラマカーを参考としている。