初代
純然たる航空母艦として建造されたものの中では最古であり、イギリス海軍初の航空母艦として就役した。
起工は1918年1月15日で就役は1924年2月18日であり、日本の鳳翔よりも2年近く遅れての就役となったが、これは本艦が初の新造空母ということで慎重に建造が進められた為に遅れが生じたからである。
ちなみに鳳翔にも本艦を建造した技術者が関わっており、両者の関係は深い。
外見上目を引くのはその小柄な船体に見合わぬ大きな艦橋で、その高さは水面上から30m以上もあり、トップヘビー気味な船体のバランスを取る為に左舷側バルジには常に海水が満たされていた。
速力は空母としては低速の25ノットであった。
第二次世界大戦ではフェアリー・ソードフィッシュを搭載し、ドイツのUボートに対する対潜哨戒任務や通商破壊艦の捜索、ヴィシーフランス側の戦力となった戦艦リシュリューへの攻撃などを行った。
しかし、修復を受ける為にセイロン島のトランコマリーで停泊していた際に日本軍の空襲に巻き込まれ、1942年4月9日にスリランカのバッティカロア沖で九九式艦上爆撃機による爆撃を受け撃沈された。
このハーミーズ撃沈をはじめとするセイロン沖海戦の一連の戦闘が日本側にとってあまりにもパーフェクトゲームでありすぎたために、
コロンボ空襲の際に英巡洋艦を発見し、いそいで対艦攻撃用の兵装転換を行った事。その最中に第一航空艦隊(南雲機動部隊)がイギリス空軍機の接近に気づかず空母赤城が攻撃換装中にウェリントン爆撃機9機に空襲され、あわや爆弾や魚雷に誘爆!…
とピンチの瀬戸際にあった事が棚に上げられ、「結果が良ければマアいいか!」といった空気が醸成されたことがミッドウェー海戦の惨劇につながった理由の一つなったのは、知る人ぞ知るハナシの一つ…。
(むしろ、あっけなく沈んでしまったことで南雲機動部隊に驕りと慢心を与え、ミッドウェーで同じような失敗をさせて全滅に追い込んだことが同艦にとっての最大の戦果…っていったら皮肉が過ぎるか(-ω-;))
2代目
セントー級航空母艦4番艦。起工は第二次世界大戦末期の1944年で、艦名は元々「エレファント」だったが、初代ハーミーズの艦名を残す目的で1945年11月に改名された。しかし、途中で建造が一旦中止されて改設計されるなどの諸般の事情により就役は第二次中東戦争後の1959年となった。
セントー級航空母艦はコロッサス級やマジェスティック級を基により大重量の艦載機を運用できるようにしたり速力向上を図ったタイプだが、就役時は既にジェット機の時代。
セントー級はいずれも新造時からアングルド・デッキ(1番艦のセントーは後日改装により装備)などの現代空母に必要な装備を取り入れ、更に蒸気カタパルトを改装で後日装備するなどして小型空母ながらジェット機運用に対応していったのだが、次第に大型化していく艦上ジェット機の運用に苦労するようになり、順次コマンド母艦(水陸両用作戦用のヘリ空母。いわゆるヘリコプター揚陸艦)に転用されることになる。本艦もご多分に漏れず1971年にカタパルトを撤去してコマンド母艦に改装されて輸送ヘリを艦載機にするようになったが、1976年に対潜空母として再改装され対潜哨戒ヘリを艦載機としている。
1981年にはスキージャンプ台が設置されてV/STOL空母へと転身、シーハリアーの母艦となり、フォークランド紛争でイギリス海軍艦隊旗艦としてインヴィンシブル級空母「インヴィンシブル」と共に活躍。現代版軽空母としての実績を示した。
1984年にイギリス海軍を退役。1986年にインドに売却された後、インド海軍でヴィラートとして再就役し、2017年3月退役した。
本艦の退役後、イギリス海軍は30年間、正規空母の保有をしていない。クイーン・エリザベス級航空母艦は一時期久々の正規空母になる予定だったが、艦載機の開発遅延や予算不足で結局カタパルトのないV/STOL空母になってしまった。
今に伝える雄姿(?)
初代ハーミーズを画像検索して、おそらく1番目を引くのは
セイロン沖海戦の時にアルマダ…もとい南雲機動部隊の空母5隻(加賀は修理中)の艦爆隊にボコ殴り(排水量1万トン弱、全長182.3mの艦体に37発の命中弾!!)にされ、破壊により生じた濛々たる白煙をあげながら今まさに海中に没しようとしている痛々しい場面であろう。
←阿鼻叫喚の一部始終…。
…そして現在、変態で名高いアオシマから発売されている初代ハーミーズのプラモキットのパッケージの一つにはまさにこの場面がこれ見よがしに描かれている。
さすが模型業界の狂犬!そこにシビれる!あこがれるゥ!
別名・表記ゆれ