東洋史
とうようし
東洋史とは、ユーラシアの欧州以東、欧米を西洋とし、それを除く東洋、アジアの歴史、それを学ぶ科目。
東洋史は、明治維新の後、歴史学が世界史的な視点を導入する事で国史(日本史)・東洋史・西洋史と三分割されることで誕生したとされる。それまでの日本における世界史知識は大部分が中国史を中心とした東アジア史であったが、そこし少しずつ東南アジア史、南アジア史、西アジア史といった学問の蓄積が試みられていった。
東洋を欧米の概念で語れば、オリエンタルという概念になる。欧州から見た東方、つまりはトルコやアラビア、ペルシアそして文化的な結びつきが強い北アフリカを含めた中近東、そしてさらに東方の極東と言った地域を指すことになる。ここに欧州人が東方の諸人種をまとめて劣った人種と見なそうとする動機を見つけて批判するエドワード・サイードの「オリエンタリズム」論といった議論もある。
しかし日本では、中近東地域を例えばアレクサンドロス大王の拓いたヘレニズム世界あるいはアラビアから欧州にも広がったキリスト教やイスラム教の観点から、東洋史というよりは西洋史の範疇で分析する傾向が強い。人種の優劣ではなく、歴史的な繋がりの大きさを問題にして論じているのである。こうして日本における東洋史とは、あるいはシルクロードや草原の道、あるいは海の道で結ばれた日本から西アジアに至る巨大な交流圏を取り扱う歴史学領域となってきている。シルクロードは当該記事を参照。草原の道とはモンゴル高原からカザフ高原、カスピ海北岸を経由して黒海北岸に至る交易路である。主な交易品は黄金や毛皮、そして絹など。遊牧民族はこの交易ルートを押さえる事で勢力を得ていた。シルクロードや草原の道のような陸上の交易ルートに対して紅海やペルシャ湾からアラビア海、インド洋、マラッカ海峡を経て中国に向かう海上ルートは海の道と呼ばれる。船による大量輸送が可能な為、年代が下る程に主要な東西交易路となっていった。
さらに近年は欧州中心史観を脱した世界史研究のあり方という意味でも東洋史の考え方が用いられ、東洋史研究はイスラム世界、アフリカやオセアニアの歴史にまで広がりを持つようになってきている。