概要
隣接しているシンガポール海峡と合わせて海の交通のかなめとなっており
スエズ運河、パナマ運河、ホルムズ海峡と並ぶ重要な航路である。
9万隻もの船が行きかい、日本に来たり日本から行ったりする船もここを通ることが多い。
語られる伝説
今もなお船が尽きないマラッカ海峡。
しかし、海峡は狭いところでありかたまって動くか一直線上になって動くかである。
そうなると動きは制限され・・・しかも荷物は貴重な石油などである。
この状況で特に注意なのは海賊の危険性だ。
そんな近年マラッカ周辺をさまよう海賊船はある日、日本の輸送船に目を付けた。
日付は夜、明け方近いころに集団で航行、輸送団もこれに気付いて全力で振り切ろうとするも
とうとう追いつかれてしまった。
乗り込まれては元も子もない。あきらめかけたその時、海賊船と輸送船を遮る船が現れた。
その船は軍艦で、急な登場に海賊は撤退。朝日が出かけていたため船の旗が見えたという。
その旗は旭日旗(日本)で見た目は太平洋戦争中の駆逐艦に似ていたという。
また、船員はこちらに手を振る白い服の乗員を目撃しているという。その後、霧の中に消えた。
この話題は新聞に載ったといい、先人がまだ我々を守ってくれているという逸話である・・・。
この伝説の考察
さて、日本の駆逐艦と言われているがマラッカ海峡に沈んだ日本軍艦で駆逐艦はいない
軽巡・球磨、
重巡・妙高、
重巡・高雄、
重巡・羽黒は沈んでいるが目撃が朝の見えにくい時であるため
この4隻の亡霊を見間違えても不思議ではない・・・。
ちなみにこの周囲に目を広げれば少し離れた所に白露型駆逐艦・時雨
もう少し先には秋月型駆逐艦・霜月が海底にたたずんでいるという。
しかも時雨の場合はスリガオ海峡戦の生き残りで明け方に近い時に戦いは終了
その後、1945年1月24日シンガポール沖、早朝7時に魚雷を受けて沈没している。
奇しくも輸送船団を守る任務の途中での沈没であった・・・。