これがオレ達の走りだ。
駆け引きなんて必要ない。
お互いを信じて、ただひたすら「自分の競馬」に徹する。
それが彼らの築き上げた、勝利へのセオリー。
タップダンスシチーと佐藤哲三。
信頼の絆で結ばれた人馬の、熱く、力強い走りが、私たちの心を惹きつける。
- ヒーロー列伝No.57
概要
1997年3月16日アメリカ生まれ、父プレザントタップ、母オールダンス。通算42戦12勝。
2000年にデビューし、京都新聞杯で3着となるなど素質は示していたが、気性的な問題で中々本領を発揮出来ず本格化は5歳秋までズレ込んだ晩成型の馬。
佐藤哲三騎手に固定化されたのも功を奏し、
2002年9月に重賞初制覇、その年の有馬記念で6連勝中のファインモーションを競り落とし、シンボリクリスエスの2着に連対する。
2003年宝塚記念で3着に入りフロックではない事が周知される、ジャパンカップは得意ではないはずの悪い馬場状態だったが逃げ切って優勝、レース史上最大着差の9馬身差と歴史的な圧勝劇を演じる。かつてのカツラギエースのようなレースぶりだった。
2004年宝塚記念でGⅠ2勝目、凱旋門賞へ遠征するも飛行機のトラブルがあり1度は遠征中止かという状況だったが、ギリギリで間に合ったような状態になり17着。その年の有馬記念でゼンノロブロイに交わされるも2度目の連対。
2005年金鯱賞で史上2頭目の同一重賞3連覇、宝塚記念は7着に沈んだ頃から衰えが見え始め、有馬記念12着を最後に引退。
佐藤哲三騎手の代表的騎乗馬。
ライバルのシンボリクリスエスとは2勝2敗と互角だった、ツルマルボーイとも4勝4敗と互角だった。