概要
死後、別の存在として生まれ変わるという考え方。バラモン教や仏教などインド系宗教の特徴。原始宗教にもみられる。
転生というものを信ずるならば我々が転生する前に存在していたものを前世、次に転生した後に存在するものを来世、と言う事になる。
似たような単語にはキリスト教で復活というものがあるが、キリスト教では復活した後で最後の審判で裁かれてそこで終わるので転生とは違う。復活と比べると記憶、肉体、人格などが同一では無く新たな存在として生まれ変わるという意味合いになる。
古代・中世だと本当にあることを前提として様々な理論が作られ、中には補陀落渡海や即身仏等に至る者も現れた。
現代科学だと遺伝子はある意味輪廻転生できるが、魂が輪廻転生するみたいなことはたぶん無いと予想されているので、転生したらRPGの世界に行けることはたぶん無い。
とはいえ転生物語のロマンは千年以上に渡り日本人に根付いており、メディアなどでは転生というものは興味深いテーマとして用いられ、同時にフィクションなどの創作物では転生というものを扱っているものが多く存在する。
創作物における転生
創作物で転生という物が登場する場合、肉体は別個であるが記憶は引き継がれる、というものが多い。
というのも記憶が引き継がれない転生、というのは転生か転生でないか区別がつかないためである。
ゲームとは相性が良い。ゲームシステムとして転生が用意されていることもある。
この場合生まれ変わることによりキャラクターが弱くなってしまうが、別の職業に就くことが出来る、育てると前より強くなる、などメリットがあることが多い。
中には、異世界転生→現代転生のようなパターン、多重転生のようなケースも存在する。
作品によっては憑依や転移、復活・蘇生・複製と区別せず纏めて転生と呼ぶことが多い。
怪談のネタとしての転生
転生は怪談の定番ネタとしても使用され、「今度は〇〇しないでね」というオチで締め括られる。
よくあるケースとしては次の通りである。
ある夫婦に子供が生まれたが容姿は大変醜くどうにかして彼を捨てられないものかと母親は考えていた。
ある日、家族旅行に出た夫婦はフェリーからの景色を楽しんでいた息子を突き落として殺した(景勝地の崖で小便をしていた息子を蹴落としたとも)。そして数ヶ月後に第二子が誕生。容姿も非常に恵まれており、夫婦からは非常に可愛がられたという。
夫婦は再び家族旅行を計画、何の因果か今度の旅行も船旅であり、息子は急に小便がしたいと言い出したので付きそうと息子は第一子の顔に豹変して「今度は落とすなよ?」と言った。
また、「殺人を犯す事で幸せを得た者の子供が被害者の生まれ変わりだった」という「こんな晩」と呼ばれるパターンの昔話も有る。
例としては、
- たまたま自宅に泊めてやった見ず知らずの旅人が大金を持っている事を知る。
- その旅人を殺して金を奪う。
- その金で幸せを得る。
- やがて旅人を殺して金を奪った者は子供を授かるが、その子供は口がきけない。
- 口がきけない筈の子供が、ある夜、突然、殺した旅人を思い出させる声で「そう言えば、こんな晩だったよな」
俳優に使われる意味の転生
ドラマの演者繫がりを疑似的に転生ものに見立てることを指す。
大河ドラマのような歴史モノのドラマ・映画の劇中で死を迎えた俳優が違う時代を舞台にした別作品に似たような役柄で出演する時に話題になりやすい。
同じような役柄でも物語の展開によって全く違う立ち回りを見せることも多い為、内容によっては前世のリベンジや救済にも見えることがある。もちろん同じことの繰り返しや、さらにひどい末路になることもあるが。
俳優の中には過去に自分が演じた役をイメージしながら演技に臨む例もあるので、明言はしていないが意識している場合もある。
ただし、基本的には作品の二次的な楽しみ方なので、あまり他人に押し付けてはいけない。
商品の転生
この分野ではありえないと思うが、まれに商品Aが商品Bに転生したような商品も存在する。
一例としては、パチンコやパチスロ、ソーシャルゲームのシステムだけを流用して別のゲームとしてガワ変え、プラモデルやトランスフォーマーの一部流用したものも転生と呼ばれるかもしれない。
それ以外では、何とスーパーカップシリーズでラーメンから焼きそばへ転生という展開も生み出した。詳細は後述のねとらぼのリンクにて。
大盛りカップ麺「スーパーカップ」からラノベみたいな名前の新商品爆誕 カップ麺にまで転生ブームが……(ねとらぼ)
その他
インターネットにおいて名前を変えてアカウントを造り直すことを転生と呼ぶ。
別名・表記ゆれ
関連タグ
トラック転生/転生トラック 転生チート 神様転生 現代転生 人外転生 多重転生 集団転生 転生者複数 [転生ループ]] 多重転生トリップ