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豊田章男の編集履歴

2023-04-20 11:19:47 バージョン

豊田章男

とよだあきお

日本の実業家。トヨタ自動車の第11代目社長を経て、2023年4月より会長。

概要

日本の実業家モータースポーツ選手。

トヨタ自動車元社長(11代目)、現会長

1956年5月3日生まれ、愛知県名古屋市出身。


慶応義塾大学アメリカハドソン大学MBA)卒業後、そのままアメリカで銀行に勤務したのち、1984年に家業のトヨタに転職

いわゆる社長息子でありながら、父の意向で平社員として入社。履歴書もしっかり提出したという。


常務取締役、専務取締役、副社長を経て、2009年に社長に就任。

前年に発生したリーマンショックによる71年ぶりの赤字転落を筆頭に、2011年の東日本大震災(工場を含む系列会社が多数被災した)や海外でのプリウスの死亡事故といった諸問題に対応し、トヨタの復興を主導した。

結果として業績のV字回復の立役者となった他、TNGAのような技術革新を経てトヨタの姿を大きく変えることとなった。


一方で、大の車好きとしても知られており、開発のために自らレースに出走するなど社長としては異色の経歴を持っている(後述)。


2023年4月1日付で社長を佐藤恒治に交代し、自身は会長に就任した。


車好き

単なる移動手段としてではない、運転を楽しむツールとしての車を愛しており、スポーツカーの復権とモータースポーツ活動の振興に貢献した。

2012年の86発売をはじめ、スープラの復活、GRヤリスGRカローラの発売、モータースポーツ部門を集約したTOYOTA_GAZOO_Racingの発足、WRCへの復帰等は、章男が社長でなかったら成しえなかったと言われる。

前社長時代にはスポーツカーの扱いに極めて消極的で、2007年にMR-Sを販売終了して以降しばらくはスポーツカー自体をラインナップしていなかったことを踏まえると、変化の大きさが分かりやすい。


スポーツカーの開発に事務的に関わるだけでは飽き足らず、自らハンドルを握ってテストドライバーを務め、更にはニュルブルクリンク24時間レースや国内ラリーにも選手として出走している。

もちろん目的は体感的な性能を探るためで、2020年には発売前のGRヤリスを駆り、スーパー耐久の24時間レースを走った。

モータースポーツ選手としては「MORIZO」を名乗り、2023年発売のGRカローラにはその名を冠した限定車「MORIZO Edition」が設定された。


また、メーカーの垣根を超えた交流にも熱心で、他社製であっても良い車を素直に評価している。

東京モーターショー東京オートサロンなどのイベントでは直接会場を見て回り、度々その姿がニュースになる。


その他

  • 初めての愛車はTE71カローラ(セダンGT)。ポルシェ911フェアレディZに乗っていたこともある。
  • MORIZOというドライバー名は、2005年の愛知万博のマスコットキャラクターであったモリゾーに由来する。当然ながらトヨタがパビリオンを出展していた。別名義を用いたのは、初期のGAZOOチームがトヨタ公式のプロジェクトではなく、豊田姓を名乗れなかったためとされる。
  • サプライズエンターテイメント的な演出が好きで、重大情報を唐突に発表することが多い。
  • 2019年には独自のメディアとしてトヨタイムズを立ち上げた。これは章男のオールドメディア嫌いが理由と見られ、実際に日本メディアのネガティブ偏重を批判したこともある。トヨタイムズ発足後は既存メディアの取材に殆ど応じていない。
  • 日本において、自動車メーカー幹部が自らモータースポーツに参戦することは極めて稀であり、社長職では他には本田宗一郎本田技研工業創業者)しか例がない。
  • 日本の自動車の維持費が高いことに度々苦言を呈している。

関連項目

トヨタ 社長 同族経営

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