概要
宮内庁下総御料牧場のこと。千葉県成田市の三里塚地区にあった。
1888年に農商務省の下総種蓄場が宮内庁の管轄となり、皇室の用に供する家畜の飼養、農畜産物、乗馬・輓馬の生産が行われた。
1969年8月18日に成田空港建設のため閉場された。
日本の軍馬の資質差改善を名目に海外からの種牡馬・繁殖牝馬の導入、競走馬の生産も行われ、生産牧場としての一面も持っていた。
沿革
江戸時代、下総台地北部に江戸幕府によって佐倉牧が設置され、7つの牧から構成されていたことから「佐倉七牧」と称され、三里塚には取香牧が置かれていたが、幕府の終焉により1869年に廃止された。
1875年、羊毛の生産のため内務省下総牧羊場が開場し、隣接する取香牧は牛馬の改良に当たる取香種蓄場となった。
1880年、下総牧羊場と取香種蓄場が合併して下総種蓄場となった。
1881年、農商務省の管轄となる。
1885年、宮内省御料局の管轄となり名称は「宮内省下総御料牧場」に改められた。牧羊事業は縮小された。
1922年、牧場の経営が悪化し馬の繁殖を中止した。
1923年、総面積の6割を帝室林野局へ移管し、三里塚、両国の2区だけとなった。
1923年、新競馬法の制定により競馬の施行について法整備が行われる。
1926年、馬の繁殖が再開され、競走馬も手がけるようになる。
1966年、新東京国際空港の建設にあたり民有地の買収を極力少なくするため、国有地である下総御料牧場は最大限に利用される事となった。
1969年8月18日、牧場閉場式が挙行される。高根沢の新牧場へ80家族約300人、家畜約400頭が移転した。
競走馬の生産
アングロアラブなども手掛けたが、サラブレッドの生産で名高かった。
下総御料牧場の牝馬の系統は日本の生産界に浸透し、在来日本産馬の重要基礎牝馬群のひとつとなっている。
1926年、イギリスから繁殖牝馬としてヤングマンズファンシー(種正)、ヘレンアゲイン(種道)を輸入。
1927年、イギリスから種牡馬トウルヌソルを輸入。
1929年、トウルヌソル産駒のワカタカが誕生。第1回東京優駿大競走をはじめ、当時の大競走を総なめにした。
1931年、アメリカから受胎した状態で繁殖牝馬フェアリーメイデン(星旗)、アイムアベイビー(星若)、アルザダ(星友)を輸入。
1932年、アメリカから受胎した状態で繁殖牝馬ヴァリアントレディ(星濱)、セキュア(星谷)、スロッピング(星富)を輸入。前年の3頭と合わせ、下総御料牧場の基礎牝馬となる。来日後に誕生したクレオパトラトマス、エレギヤラトマス、ピアスアロートマス、シンヨリーナトマス、ナミトミは特殊競走11勝の成績を挙げた。競争生活に入らなかった星友の仔・月友も種牡馬として優秀な成績を挙げた。
1933年、トウルヌソルと種正の仔・トクマサが誕生。
1934年、トウルヌソルと星友の仔・ヒサトモが誕生。
1935年、イギリスから種牡馬ダイオライトを輸入。
1936年、トウルヌソルと星旗の仔・クモハタ、トウルヌソルと星濱の仔・ソールレデイ、トウルヌソルと星谷の仔・トキノチカラが誕生。
1938年、ダイオライト産駒のセントライトが小岩井農場で誕生。日本初のクラシック三冠馬となった。