「ボクは経験者だから」
「走ろう‼たとえどんな困難が続こうとも‼あきらめることなく‼」
プロフィール
学年/出身中学 | 千葉県立総北高校1年4組→2年生→3年生 |
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出身中学 | 東中(※1) |
タイプ | ルーラー(※2) |
愛車 | 白い車体に黒字のCOLNAGO |
身長 | 171cm |
体重 | 58㎏ |
BMI | 19.8 |
誕生日 | 1992年7月1日 |
星座 | 蟹座 |
血液型 | A型 |
ゼッケン番号 | 201 (3年)※3 |
イメージ動物 | ? |
声優 | 宮田幸季 |
俳優 | 山本一慶(舞台) |
平井浩基(ドラマ) | |
井上瑞稀(映画) |
※1:直接の記述はないが、原作248話で弟が東中の3年という記述があったことから同じ中学に通っていたと推測される。
※2:公式ファンブック(68.5、スペアバイク)以後はオールラウンダーと表記。
※3:総北ではなく選抜チームとして出場。
人物
千葉県立総北高校の生徒であり、高校一年→二年に、のちに三年に進級。
中分けにした短髪が特徴で独特のイントネーションがある。
得意分野はロングライド。山道などの坂もロングライドタイプである。
概要
小野田坂道のクラスメイトで、中学時代から趣味でロードレーサーに乗っており、鳴子章吉と坂道が自転車部に入るのを知り、一緒に入部することになる。
「ボクは経験者だから」が口癖(進級するにつれ言わなくなる)の自慢屋だが根は親切で、「ルールを守る男」と自称する。
レース勝利のために一心不乱に練習に没頭する他メンツらとはやや温度差があり、主に裏方に徹していたが、IH優勝の坂道等同期の活躍に影響され、その態度にも変化が出始め猛練習に励む。
登場初期~2年初めこそは口が軽くお調子者系のキャラクターだったが、2年になり次第に凛々しさを見せる表情も見せている。特にアニメではスタッフが途中で変わったこともあり、その違いがはっきりと判る。
経歴・レース戦績
ウェルカムレース
1年生の時のウェルカムレースではルール違反をして先行した川田拓也を抜き、一度は抜かれた坂道が峰ヶ山の山頂でリタイヤしたこともあり3位になる。後述になるが、レース後に川田へ取った軽率な行動が年を越えて大きなトラブルの火種になることはこの時予想もしていなかった。
翌年も前年の3位を返上しレギュラーの座を賭けて特例で再び参加。ここでも市街地区間でルールを破って先行しようとする沢田とゴリ蔵を止めている。その後も今泉のアシストを夢見て積んできた努力で弟の定時と共に鏑木一差・段竹竜包のチームSSコンビを追い込むもゴールスプリントで僅差で敗北。そして勝利した鏑木に自分が叶わなかった今泉の背中を押すよう託す。
3年になって初めて坂道らと共に、寒咲通司の運転するワゴン車に乗ってレースの状況を注視する。
その過程で3年間ワゴン車に乗ってた寒咲幹から、坂道らの1年の時のレースの車内で当時の3年の状況を語っていた際に、自分の話が出なかったことに複雑な心境を浮かべていた。
合宿
1・2年
1・2年目は特に大きな描写はなく、1年目は坂道ら3人の車両にハンデに課されていたことに気づいていなかったのか序盤こそ3人を抜いて自慢していたが、そのハンデに順応した3人に抜かれ、最終的には650㎞で途中リタイア。2年目も段竹と共に955㎞でタイムアウト。
3年
3年の合宿では新たなルールとして2人1組の「相棒(バディ)」を組んで1000キロを走破するルールが設けられ、当初弟の定時からコンビの申し出があったが、それを断って今泉俊輔と相棒を組む。今年こそメンバーに選ばれたいという強い想いからメンバージャージは家に置いてきており、IHメンバーに選ばれるまで袖は通さないという意気込みと覚悟で合宿に臨む。
2日目に鏑木・段竹のチームSSコンビのターゲットとされ、鏑木を通して段竹から勝負を挑まれたことで胸を貸す気持ちでその勝負を受ける。一時的な不調を克服した段竹が合宿中に編み出した必殺技に、心拍数をコントロールしながら加速する「名前のない必殺技」で挑み、全体的に圧倒的不利な状況の中、同着でゴールする。
最終日も二度目、三度目の勝負もドローとし、日没による追禁ボードが出る最終周回で段竹に「この勝負で負けたら引退する」ことを告げてラストバトルに挑むが、必死の走りも空しく僅差で段竹に敗れてしまう。
ゴール通過後に落車して倒れたところに水をかけて労う今泉から「照」と呼ばれたことに満足し、自身の3年間の想いを今泉に託して背中を押し、段竹に檄を飛ばす一方、やはり勝負に敗れたことで激しく号泣し悔しさを見せている。
鏑木の挑発に乗らず、今泉と共に周回を重ねていればメンバー入りは確実であったが、あえて勝負の道を選んだのは「IHに出るチームには1年(のメンバー)が必要」と、常にチームとしての最良の形を考えていたことも今泉の回想で描かれている。
19時10分に1000㎞まで45kmを残してリタイア。しかし坂道は戻ってくる可能性を見越して電光掲示板のリザルトは消さずに残していたが、以後については最後まで走っていた1年生の事しか描かれておらずそのまま合宿は終了(リザルト上は1年生2人にも抜かれて8番手だった)。
インターハイ
県予選
県予選の1年目はそもそも1年生が呼ばれておらず、授業を抜け出して会場に向かう坂道らとは対照的に学校に残っており、2年目もレース会場にその姿がないため学校に残っていたと思われる。
3年になってサポートとして参加している姿があり、全国大会への温存のためにレースに出場しない鏑木と行動を共にしている。
神奈川・栃木大会
インターハイでは1・2年の両年共サポートに回り、1年目の神奈川大会ではチームの窮地による不安から事あるごとに口が回り、その時のサポートの指揮を執っていた手嶋純太からその都度檄を飛ばされている。
2年目の栃木大会では、会場に向かうバス車内で1年生部員に「走らないけど皆は7人目のメンバーである」と伝えて士気を高め、スタート前も総北ジャージを着て今泉の試走に付き合っている。ちなみに彼がIH会場で総北ジャージを着る姿は先を含めてもこのシーンのみ。
レース中は指揮を執る古賀公貴とともにサポートの中心として動く。1日目のスプリントリザルトで鏑木が銅橋正清に敗れた時も声援を送りながら右手を出してタッチを交わす。その後、事故渋滞で給水所に間に合わなかった際は古賀と共に選手用のスペアバイク(予備車両)を使って間に合わせている。
最終日は坂道がゴールでトップし2年連続の総合優勝となった際に抱きしめようとして、横から駆けてきた橘綾に先を越されてしまう。
福岡大会
3年目の福岡大会ではこれまで同様サポートに徹する一方で、出発前に通司から7人目としてリザーバー(補欠要員)に登録されていると告げられていることから、僅かながらメンバー入りする可能性を残し、会場入りする前も自分の努力が徒労に終わることを願いつつ、そのための練習も欠かさずに続けていた。
スタート前も出場するメンバーのロードの整備の傍ら、箱学のテントで銅橋に「弱心臓(チキン)」と言われたことに思い悩む段竹に檄を飛ばしつつも励まし、その後の幹との会話では自分の過去話を織り交ぜて、選手として走れなかったことへの落胆の表情を見せながらも明るく振舞おうとするといった複雑な表情を見せていた。
とはいえチームもすでに盤石の状態であり、自身のリザーバーとしての役目の終わりを告げるスタートの号砲を待ち(補足①)、坂道ら同学年3人のバックアップをするべく総北チームサポートの中心として指揮を執る。
・・・はずだった。
スタートの30分前になって「選抜チーム(補足②)」に欠員が出たことが明らかとなったことで白羽の矢が立ち、通司から打診を受けた時は15分で準備できるかと言われたこともあり(この時点でスタート20分前)、あまりに突然のことで驚きと戸惑いと躊躇いが混ざった複雑な表情を見せるが、今泉から背中を押され、選抜チームのジャージを着てスタートラインに立つ。総北メンバーとしてではなく選抜チームへの選手貸し出しという扱いとはなるが、まさかの形でIH出場を果たすこととなり、さらに、チーム内のまとめ役としてエースナンバー「1」(ゼッケン上は201)を付けることとなった。
選抜チームとして走るにあたって、通司を通じて聞いた「簡単だが難しい」運営側からの条件(補足③)を聞いて「ルールを守る男」としてその条件を守ることを宣言し、共に走るメンバーへは「千葉の3年、杉元だ」と、「総北」の名前を出さずに自己紹介をしている。
レーススタート後はチームに勝ち目はないとわかっていながらもスプリントを経験させたいという想いから、ファーストスプリントに宮城県の高校のメンバー二人に出るよう指示、後続から追い上げようとする銅橋に二人を連れて行ってもらうよう交渉し、当初こそは自分にメリットがないと断る銅橋もその必死で頼み込む姿に感化され、「貸し」という形で承諾したことで二人を託す。
その他
1年の峰ヶ山ヒルクライムが終わったあと、田所迅の引退試合でもある「湾岸クリテリウム」に参加することとなり、チームメンバーは同じジャージを着て出場するルールから、ここで初めて手嶋からメンバージャージを渡されて浮かれる一面もあったが、やはり田所・青八木・鳴子の総北スプリンタートリオの実力には遠く及ばなかった。
2年の峰ヶ山ヒルクライム後に川田が再入部し、前述での1年ウェルカムレース後の言動を根に持たれていたことから再入部早々勝負を挑まれ、ショートカットによる不正行為を繰り返す川田の勝利で一時はジャージを奪われた形になっていた。更には坂道に魔の手を伸ばしたことに怒りを向けていたが、坂道が勝利したことで改心した川田から謝罪を受けてジャージも(洗濯した上で)返してもらっており、以後は何事もなかったかのように接している。
(特に川田は3年時の合宿における段竹との勝負において、最後は杉元の応援に回るほどになった)
一方劇場版では、総北が「熊本火の国やまなみロードレース」に招待されたことを受け自分のデビュー戦と意気込むが、今泉に肩を叩かれ首を横に振られている(結局はIH同様サポートに回っている)。
使用車両について
愛車は白地に黒ロゴのコルナゴで「ボクのコルナゴちゃん!(アニメではコルちゃん)」とかなり熱愛している模様。モデルとなった車種は不明だが、アニメ版では2012年モデルの「CLX」がカラーリングとしては近い(参考程度に…)。ちなみに弟の定時も同じ車両に乗っているほか、父親も車種は不明ながら、同じコルナゴに乗っている(第761話)。
ドラマ版では2016年モデルの「CX-ZERO Alu」。白の車体に当初は赤と緑の差し色の入った「イタリアンカラー」の採用を予定していたが、合成撮影の関係で緑が使えないため赤と黒の差し色の入った「ビアンコロッソ」カラーの車体を採用している。更にはバリバリの経験者ではない雰囲気を表すための装備(反射鏡とテールランプの同時装着やベルの装着等)も施されている。
その他
家族で自転車を楽しんでおりお揃いのジャージを作るほどで、原作761話の幹との会話で自転車に乗るきっかけを聞かれた際に、元々は父親がロードに乗っていて、小学生の時(と思われる)に父親に勧められるも当初は怖がって乗るのを拒んでいたが、父親の実家がある岡山に行った際に岡山と島根の県境にある大山(だいせん)に連れられて行った時の景色に感動したと口にしたほか(この時はレンタサイクルに乗っていた)、中学時代はその父親に頼んで週末ごとに河口湖や箱根の山を自転車で登っていた、と幹に話している。
その影響からか弟の定時も総北の自転車部に誘い、受験の際のトラブルもあったが総北に無事合格し、晴れて入部している。
補足
①:インターハイのルールとしてリザーバーへの交代はスタート直前までで、スタートをした後での交代が出来なくなる。ただしIH栃木大会ではそのルールの裏を掻く形でリザーバーに本来の選手を登録し、スタート直前に最初に登録していた6人目からその選手に交代するといった策略を取った学校もあった。
②:選抜チームとは、「未来ある選手を走らせて経験させる」という趣旨のもと、予選で敗退した学校の中から選ばれた6人の選手から編成するチームである。過去には卒業生の不祥事で学校としての出場を辞退せざるを得なくなった京都伏見の石垣光太郎と辻明久も1年の時(青森大会)にこの枠で参加をしていた(SPARE BIKE3巻「石垣光太郎編」より)。
③:その条件は平等性の観点から「レース中総北に近づけない」というもので、レース中は選抜チームの一員として走ることが条件となる。