ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
肥下の編集履歴2024/08/18 07:09:40 版
編集者:そちゃ
編集内容:一部の編集

肥下

ひげまたはひか

「肥下」とは日本の名字、または現在の河北省石家荘市晋州市の西に位置したとされる中国の地名。

曖昧さ回避

  • 肥下(ひげ):大阪府に見られる日本の名字。全国で約20人程しかいない希少な名字である。
  • 肥下(ひか):現在の河北省石家荘市晋州市の西に位置したとされる中国の地名。歴史上では肥下の戦いがあったとされ、検索サイトで「肥下」を検索すると真っ先に肥下の戦いのWikipediaが表示される。当記事では漫画『キングダム』における左記をモデルとした戦いを解説する。

概要

漫画『キングダム』における戦いの一つ。

上記の通り史実に存在し、本作は『戦国策』趙策四を基にしている。

余談

第752話「聖地へ…」が週刊ヤングジャンプに掲載された2023年3月23日のTwitter上では「桓騎」がトレンド入りした。

実写映画の公開により「キングダム」という単語がトレンド入りするのはよくあることだが、漫画の展開により『キングダム』関連の単語がトレンド入りするのは極めて珍しい。

実は宜安城侵攻を軍議で決定する際、昌平君昌文君らの「宜安は北すぎる」などの疑問をはねのけて宜安城侵攻をゴリ押ししている(昌平君の台詞としては珍しく「!」が付く台詞を発している)。

昌平君は過程の説明で「最大の敵"楚"との戦いに全力を注げなくなる」と発言したが、ここで注意しておきたいのは、昌平君が楚出身の人物であること以上に楚軍の軍容を詳しく知る人物が昌平君以外の秦国文官に存在しないことである。

『キングダム』の作中では楚国に侵攻したのは什虎城のみ、かつ合従軍編で侵攻された際に今も存命の大将軍が媧燐廉頗の存在が明らかになった以外に、秦国の文官は楚国の軍容に対する理解が乏しい状況が続いている(将軍は什虎の3人や汗明軍の生き残り、項翼白麗も居るが、いずれも交戦経験が少ない)。

このため楚攻略までの軍略を考えた際に、趙最北部の雁門城にまで目を配り軍を全力で興せない状況というのは、単純な数において楚に劣っている秦軍においては致命的な要素と捉えているようであり、後顧の憂いを取り除くために宜安侵攻を強く推したと考えれば合点がいくだろう。

ちなみに、昌平君が楚軍が絡む場合に目が変わったような考え方をしたのは、今回が初めてではない。

合従軍編では楚軍を「最大の難敵」、特に総大将を務めた汗明は最強と考えていた。

しかし、蒙武が汗明を討ったことで函谷関防衛を決定的にし、その後蒙武軍が斉に侵攻する合従軍の背を攻撃したことで、論功行賞にて蒙武に第一功を与えている。

なお、蒙武軍に対し合従軍の背を攻撃するように命じたのも昌平君であるが、蒙武軍は軍とともに函谷関の平地に布陣し合従軍の後ろを迅速に攻撃できる状況だったのに加え、傘下将軍の犠牲が無かったために軍全体の被害が特に少なかったのが理由として考えられる(騰軍は鱗坊同金を失う、蒙恬王賁を臨時五千人将に抜てきしなければならなかったなど、被害が大きかった)。

肥下の編集履歴2024/08/18 07:09:40 版
編集者:そちゃ
編集内容:一部の編集
肥下の編集履歴2024/08/18 07:09:40 版