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ハインリヒ・ヒムラー

はいんりひひむらー

ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー(Heinrich Luitpold Himmler)とはナチス・ドイツの軍人、政治家。親衛隊長官である。

概要

1900年生まれ。

父親は税務官ギムナジウム(ドイツの中高一貫校)教職員バイエルン王国王子の家庭教師というエリートだった。

恵まれた環境で平穏な少年時代を過ごすが、体は弱く病気がちの少年だった。学校でも生真面目で品行方正に振舞い、(体育以外の)成績は優秀な生徒だった。

ギムナジウム在学中に第一次世界大戦が勃発。ヒムラーは従軍することを熱望していたが、戦場に立つ前に戦争が終わってしまう。戦後に父親から「この戦争の後、色々ヤバそうだから農業で働け」と言われて農家で働き、農業を学ぶためにミュンヘンの大学に進学。卒業後は農薬や肥料を取り扱う会社の研究員となった。

そんな中でも政治活動を続け、バイエルンの保守政党であるバイエルン人民党に入党し後に敵対することになるエルンスト・レームの下で働いた。ヒムラーはレームとともにしだいに反ユダヤ思想に傾倒し、人民党を離れナチスに入党する。入党後も、突撃隊の長官となったレームの元で働いていたが、1925年に親衛隊SS)というヒトラーボディーガード部隊に移転し、すぐに全体的な指導者、長官となる。

ヒムラーは親衛隊を党内全体の警察組織とするために親衛隊の人員を拡大させる。さらに、党内や国内の情報をよく仕入れるための情報部を作るため、元海軍で冷酷とカリスマに長けた軍人ラインハルト・ハイドリヒを親衛隊に招いた。

隠密な政治活動を上手く行うラインハルトの活躍は親衛隊を、何よりナチスをより良く発展させる一因となりナチスが権力を掌握すると秘密警察・ゲシュタポの長官に任命され、対立関係にあった突撃隊の幹部を斃し、全ドイツ警察長官にも任命される。

そして強制収容所の支配権を手にし、親衛隊に武装親衛隊という戦闘部隊を成立させる。これがユダヤ人を絶滅に至らせようとする悲劇、ホロコーストにつながる。

1939年から第二次世界大戦がはじまるが、1942年に部下のハイドリヒとアドルフ・アイヒマンが「ヴァンゼー会議」という高級の政治家・軍人を集めてユダヤ人の対処を語り合い、結果、ユダヤ人を絶滅させるという方針が決定。

この頃、ヨーロッパ各地に住んでいたユダヤ人はゲットーという地で隔離生活をさせられているだけだったが、誰もが強制収容所に送られ、強制労働と死が待ち構える地獄のような地に送られる事となる。

ユダヤ人をこうした状況に貶めたのは親衛隊だった。戦地においてもユダヤ人やロシア人が武装親衛隊によって虐殺されることが多かったという。

敗北寸前の1945年、ヒトラーの誕生日にベルリンへ赴くが、すぐさまヒトラーの元を離れてしまう。

負けて滅びそうなので連合国と和平交渉しようとしていたのである。

これを知ったヒトラーは激怒して彼を全官職から解任して逮捕命令を出したが捕まる事無く、ヒトラー死後に成立した降伏政府・フレンスブルク政府へ返り咲く。

しかし今まで行ってきた非人道的行為の為に放逐され、戦犯として追いかけられる事となる。

最期は一般兵として隠れていたが発見されて捕まりそうになり、服毒自殺してこの世を去る。

逸話

  • 農業の教育と仕事の経験があったためか、植物や動物が大好きだった。
  • 非人道的な事をしてきたが思いやりのある好人物といわれる。しかし、女性と家族に対しては冷たい態度で接してきて、離婚したことがある。
  • ある時強制収容所に見学しに行った際にユダヤ人の処刑を見て吐き倒れそうになった。それを見ていた親衛隊員が非公開と隠密のために最前線へ送られてしまったという。

人物像

  • その外見は貧弱で小柄な体格、東洋人を思わせる顔つきにメガネという小役人風の風貌で、一般的なドイツ軍人からはかけ離れている(上記のとおり、実際に軍人出身ではないが)。「内向的な小心者で心優しいところもあるが劣等感が強い」という人柄も軍人というより小役人的なものであった。別名「第三帝国ののび太」。
  • 良く言えばロマンチスト、悪く言えば現実逃避的傾向があり、ドイツにおける過去の歴史や文化、特にオカルトという宗教信仰の知識を良く調べるという趣味を持っていた。それが、親衛隊にも影響し、アーネンエルベという古代史の研究機関を置いたり、栄光や戦勝の為だかで気味悪い儀式を行ったり、何でも願いが叶うという聖杯を探したりなど、ちょっとアレな要素のおかげか、後に『インディ・ジョーンズ』『Diesirae』『HELLSING』などオカルトを題材とした作品でよくナチスが登場するのはヒムラーの影響といえる。

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