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概要編集

175隻という破格の多さに定評がつき始めたフレッチャー級の一隻。

名前元はお察しだと思うが第1次大戦で活躍した人物からとられている(外国ではよくあること)

姉妹順は120隻目あたりらしい……???「名前覚えるの大変だったわ

1943年に就役。ペリュリュー島の戦いやサイパン島の戦いにおける上陸部隊の援護などで活動


いったん後退したのちに輸送艦護衛を行いつつレイテ湾へと進んだ。

そして……10月24日夜、西村艦隊運命の日となるスリガオ海峡海戦に参加。

姉妹艦や戦艦6隻、軽巡部隊によるまさに鉄の壁といえる形で迎え撃った。

そして、太平洋戦最後(というか実質これが海戦最後)であろう戦艦(山城)への駆逐艦突撃を行った。

……が(味方の)数が多すぎたことや夜で何も見えにくい状況が重なり

息を吹き返した山城の最後の咆哮により被弾(ほか2隻は避けられた)さらに追い打ちで味方軽巡

が撃った11発の弾が当たってしまい航続不能に陥ってしまう。(山城7発、軽巡11発)

(レーダーが役に立たなかったのが原因とされる)

なんとか突撃艦の一隻で姉妹艦のリチャード・P・リアリーに援護されて事なきを得た。

その後、台風を乗り越えてレイテ湾へと曳航され修理に入った。

1945年の終戦まで活動し、終戦後は解体された。ほかの姉妹が原爆の実験やほかの国に移る中で

米国で艦歴を閉じた。(因みに上述のリチャードは海上自衛隊の「ゆうぐれ」として日本に移った)


日本に与えしトラウマ、されど・・・編集

スリガオ海峡にて同士射ちにあったグラントだが米軍は過去に今回と似たトラウマを持っている

それは第3次ソロモン海戦の際、時は今回と同じく夜戦、

奇しくも日本戦艦に突撃する最中という偶然も重なっているが重巡・サンフランシスコ

軽巡・アトランタを誤射してしまうという事が起きた。夜戦でわからずとはいえ

なぜサンフランシスコが誤射を行ったのがわかったかというと着色弾が一隻だけ違っていたから。

しかもサンフランシスコは最後までアトランタへの誤射に気づかずアトランタは戦艦・比叡

軽巡・長良の攻撃と僚艦の攻撃で沈没してしまう。

サンフランシスコが気づいたのは沈没する前後であった。

夜戦、戦艦への突撃、大きい方が小さい方(重巡が軽巡を、軽巡が駆逐艦を)

を誤射するという共通点がある。

まさにグラントはあと少し気付かなければアトランタのようになっていた可能性が高いのだ。


関連項目編集

フレッチャー級 アメリカ海軍 スリガオ海峡海戦 戦艦山城

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