ウィンチェスター・ミステリー・ハウス
うぃんちぇすたーみすてりーはうす
かの大手銃器メーカー『ウィンチェスター・リピーティングアームズ』の2代目で、銃のビジネスで実業家のウィリアム・ウィンチェスターの妻であるサラ・ウィンチェスターが銃を作ってきたウィンチェスター家に怨みを持った幽霊達を撹乱するために38年間毎日増築し続けた曰く付きの個人邸宅であったが、現在は世界で最も有名な幽霊屋敷の一つとして観光地となっている。
またこれを題材にした映画も存在する。
夫のウィリアムと結婚し一人娘のアニーも生んだサラだったが、1866年に生後間もないアニーが、1881年にウィリアムが死去し、深い悲しみに暮れていた。慰みを求めていたサラは、友人のアドバイスにより「ボストンの霊媒師」の通り名で知られていた霊媒師の助言を求めた。すると、霊媒師から「ウィンチェスター家は代々製造をしていた銃で多くの命を奪ったことで、殺された亡霊達から強く恨まれて呪いを掛けられている」と告げられる。
霊媒師はサラに、現在住んでいる自宅を出て西へ旅立つことを告げる。霊媒師から「アメリカ西部へ行き着いたその場所へ、あなた自身とその恐ろしい銃で亡くなった人たちの霊のために家を建てなさい。家の建設を止めてはなりません。あなたがもし建て続ければ、あなたは生き長らえるでしょう。もし止めれば、あなたは死んでしまうでしょう」と伝えられた。
それからサラは西へ引っ越し、着いたカリフォルニア州で1884年から屋敷の建設工事を開始する。皮肉にも死んだ夫の遺産やウィンチェスター社の株の所有権による収入で莫大な資産があり、それから38年間自身が死去するまで増築工事を続けた。
こうした続けざまの工事費用は合計で550万ドルもしたと言う。
一言で言うと、建物としてはあり得ないほど間取りと構造が滅茶苦茶。
敷地面積は24,000㎡(東京ドーム二つ分)、建物面積は72,000㎡とかなり広大。屋敷は最大で地上4階建て(かつては7階まであったが、大地震で3階分が倒壊)、地下1階あり、ヴィクトリア調末期のアン女王様式となっており、水平な水圧式エレベーターピストンや押しボタン式の温水シャワー等、当時としては最新の設備が整っているが、基本的な設計計画が無く、サラの妄信によって進められた増築計画には霊を撹乱させる事を狙って通常の設計ではありえない構造が非常に多い。
例として、
- 天井扉が無いにもかかわらず天井に続く階段
- 何故か天井に付けられた手摺
- 人一人がやっと通れる室内のジグザグのスロープ
- 開けると壁になっている扉
- 床に窓
- 開くと隣の部屋に通じているクローゼット
- 床が無い部屋
……等々、
広大な屋敷と理解に苦しむ内部構造は、まさしく実在する迷宮のような屋敷となっている。
また、欧米では不吉とされる13の数字に関する物が屋内中にある(浴室が13室あったり、キッチンに排水溝が13ヶ所あったり等)。
こうした経歴もあってか、屋敷には幽霊が出るという噂が囁かれており、幽霊屋敷とされている。
通説では、サラは増築する時に「降霊室」という部屋で幽霊を呼び出して増築に関する相談をしていたとされている。
また、周囲はサラのそうした奇行を精神障害によるものだと思い、精神科医が彼女のメンタルケアに訪れたが、その医師も室内で幽霊を目撃したという噂もある。
幽霊屋敷 ウィンチェスター・リピーティングアームズ ウィンチェスターライフル
2025年2月7NHKBS放送のダークサイドミステリーにおいて、サラと屋敷について当時の資料を元に再調査を行い、書籍にまとて出版した歴史研究者による、従来とは大きく異なるサラの人物像と、ウィンチェスターハウスの実像についての、証言が放映された。
すなわち、サラに助言したとされる霊媒師の名がサラ没後数十年後に書かれた伝記以外に確認出来ない等、サラと霊媒師の接触はほぼ存在せず、サラの降霊室や儀式についても本人や周囲への取材無しに書かれた、裏付けの取れない噂話だと断じている。
そもそもサラ存命当時から、サラの奇行や心霊現象についての新聞報道や噂話について、サラに雇われた業者達は反論の証言や投書をするなど明確に否定していたにもかかわらず、今日まで無視され続けてきたと指摘している。
西海岸への移住も快適な気候によるリウマチ治療のためであり、屋敷の増改築も父親の大工仕事を身近に見て育ったサラの、趣味に過ぎず、最新の設備やヴィクトリア調末期のアン女王様式の豪華な設計象徴されるように、サラと一流業者による確かな計画に基づく設計であり、残された領収書や請求書や大工の証言から無計画設計ではないとの見解を示している。
奇妙な構造の原因は、リウマチを患うサラに合わせたバリアフリー設計と、サンフランシスコ大地震の破損箇所の修繕によるもので、外に通じる危険なドアは、テラス崩壊でそのまま放置されたためで、塞がった通路も潰れた部屋を塞いだだけで、途中の階段も上階が無くなり塞がれただけで、深い意味は無いと結論づけている。
この他生涯増改築を、続けたのは家族ぐるみで交流していた中国系や日系移民等の業者や労働者の雇用継続のためであったのでは無いかと考察している。
サラ没後に屋敷を買い取り観光資源化した所有者によって、客寄せのための作り話が流布され、ますます注目される様になった上に、上記の業者の証言は忘れ去られ、ついには所有者によってサラや屋敷の実像についてガイドが観光客に解説したり、ガイド間において史実を伝承すること自体が禁じられ、創作された逸話が膨らみ今日に至ったとしている。
番組では、ウィンチェスターライルの大量生産により、巨万の富を得た事で世間から注目を集めその結果、インディアン掃討戦や南北戦争にからめて、サラ個人へのいわれなき中傷やゴシップを新聞が大々的に報じるようになり、売り上げ向上のために、推測や噂によって霊媒師や心霊現象がでっちあげられ、サラ本人が取材を拒否した事や、地元民との交流も少なかった事も相まって、作り上げられたストーリーが史実と誤認され、今日まで伝わってしまったのが、ウィンチェスターハウス物語であると、最終的に結論づけている。