プロフィール
名前 | グレーテ・M・ゴロプ |
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身長 | 157cm |
年齢 | 20歳(1944年末) |
誕生日 | 6月16日 |
愛称 | なし |
出身 | オストマルク |
原隊 | オストマルク空軍 |
所属 | 第505統合戦闘航空団「ミラージュウィッチーズ」 |
階級 | 少佐 |
使い魔 | ワタリガラス |
固有魔法 | 『空間把握』 |
使用機材 | Bf109-F-4 |
使用武器 | MG34ほか |
イメージモデル
名前:ゴードン・ゴロプ (1912-1987)
フルネーム:ゴードン・マックス・ゴロプ
撃墜数:150(ドイツ空軍24位)
ドイツ空軍初(=人類初)の150機撃墜を達成した大戦初中期のエース。
メルダース、アドルフ・ガランドに続く、全軍で3人目の宝剣付き柏葉騎士鉄十字章授章者。
オーストリアのウィーン出身。グラーツで機械工学を学んだ後、砲兵としてウィーナー・ノイシュタットの士官学校に入校。卒業後は初め少尉でオーストリア空軍に配属され教官を務めていたが、アンシュルス(ドイツによるオーストリア併合)に伴いドイツ空軍に中尉で転籍、3/ZG76に配属された。乗機はBf110。
ポーランド空軍との戦闘で初撃墜を記録、以後バトル・オブ・ブリテン、バルバロッサ作戦等でスコアを伸ばす。
1942年8月29日、史上初となる150機撃墜を達成。柏葉騎士鉄十字章を授与されると、以降は飛行任務を禁止され本国に召還、様々な要職を歴任。大戦末期にはヘルマン・ゲーリング空軍総司令官弾劾事件の煽りで罷免されたガランドを継いで最後の戦闘機隊総監となる。
ユーモアを解さない堅物で、競争心強く尊大。ガランドとは対立しており、ドイツ空軍には少なかった国家社会主義者でもあった為に同僚や部下からの人望に乏しかった。しかしナチス・ドイツの戦争犯罪に関わる事はなく、戦後は自動車メーカーで働きながら航空雑誌に寄稿し、オーストリアの有力極右政党・自由党の前身組織の設立にも参加した。
中世の騎士的な人気のあるルフトヴァッフェのエースの中でも、ヘルマン・グラーフと並び、珍しく悪役・憎まれ役的な印象の強い人物。
人物像
オストマルク中央に近いグラーツの出身。幼少時にウィッチの力が発現したため、オストマルク空軍兵学校に入学。
兵学校では優秀な成績で飛行訓練を完了し、少尉任官の上、教育中隊の指揮官となる。
その後、中尉昇進とともにカールスラントから供与されたBf110を使用し、オストマルク国境防衛の任に就く。
次いでBf109に機種転換し、防衛戦の中で撃墜数を伸ばしていった。
ユーモアを理解しない面白みのない人物で、尊大で冷酷。
厳格な規律を押し付ける威圧的な部隊運営方針により、教育中隊からその後の実戦部隊においても部下からの受けは悪い。しかし一度として僚機を喪ったことがなく、また部下の能力を極限まで発揮させての寸分の隙もない作戦で幾度の危機を凌いでおり、JFW8航空団の中でももっとも過酷な状況下に置かれた505の指揮官としては非常に優秀と言える。
また、人懐っこい犬房由乃を多少邪険にしつつも悪印象を持たず、「私は最初から捨てる駒を持たん」と発言するなど、冷酷ではあっても決して冷血とは言えない人物でもある。
上述の通り、史実のゴードン・ゴロプはアドルフ・ガランドとの確執があったが、SWの世界観ではアンシュルスが無いどころかオストマルク(オーストリア・ハンガリー帝国に相当)が健在なので、アドルフィーネ・ガランドとの関わりは無い模様。
熱心なカールスラントの文化、技術信奉者であり、それ以外のウィッチや機材を信用しておらず、特にオラーシャや扶桑製のユニットに対しては常に懐疑的。
…という事で、一部のファンからは(公式・非公式問わず)誰かがあのネタを絡めてくるのではないかと思われていたが…ななてる先生やってくれました。