プロフィール
名前 | アドルフィーネ・ガランド |
---|---|
身長 | 170cm |
年齢 | 23歳(1944年末) |
誕生日 | 3月19日 |
所属 |
|
階級 |
|
使い魔 | ネコ?(『ネコ系の何か』とだけ説明されている) |
固有魔法 | 『魔眼』 |
使用機材 |
|
使用武器 | MG42S |
イメージモデル
名前:アドルフ・ヨーゼフ・フェルディナント・ガランド (1912~1996)
撃墜数:104
腕利きのパイロットで男ぶりも良い生粋の撃墜王であり、いわゆる「ナチス色」も少なかったこともあって、戦中はもとより戦後も長らく人気を博した人物。
1936年のスペイン内戦にて24歳で実戦デビューした後、29歳の若さでドイツ空軍戦闘機隊総監に就任、翌年30歳で少将に昇進して最年少の将官となり、その2年後には中将に昇進と、近代の軍隊では稀に見るスピード出世記録の持ち主だった。
スペイン内戦と第二次大戦初頭のポーランド侵攻では複葉機による地上攻撃任務に就き、戦闘機パイロットとしての活躍は対フランス戦以降のものである。
理由は不明だが、スペイン内戦時代は海パンで出撃していた。
※アドルフィーネがウィッチらしからぬ露出度の低い衣装を着ているのはそのパロディ。露出度でモデルを越える事は不可能だと言える。
「葉巻を咥えて斧と銃を構えるミッキーマウス」のパーソナルマークを使用していた。
(外部リンク画像)
http://img11.hostingpics.net/pics/393838galland7_gr.jpg
※アドルフィーネのパーソナルマークは、ネコがネズミと入れ替わったことになる。また、ネコとネズミの組み合わせから「トムとジェリー」のパロディだと思われる。
専用機のBf109戦闘機に特注でZFR-4望遠照準眼鏡を取り付け、空中での敵味方識別に活用していた。
(外部リンク画像)
http://www.ww2incolor.com/d/477042-2/Adolph+Galland+with+his+ground+crew+chief+UnterOffizier+Meyer
※これが、アドルフィーネが首から提げる照準眼鏡のモチーフとなっている。
敵国イギリスの戦闘機スピットファイアを高く評価しており、ドイツ空軍総司令官へルマン・ゲーリングに「イギリス空軍に勝つために何が必要か」と問われた時に、「スピットファイアが欲しい」と言い放ったというエピソードが伝わっている。
※アドルフィーネがリネット・ビショップに好意を寄せているという設定は、この話が元ネタとなっている模様。
ブラジル産の葉巻を愛用した大変な愛煙家で、オフィスでの執務中もプライベートでも常に葉巻をふかし、遂には乗機のコクピットにまで特注で灰皿を取り付けさせた。
自らテスト飛行したジェット戦闘機Me262を「天使が後押しするようだ」と、その高性能を絶賛して開発を推進したが、この機体を畑違いの爆撃機として使用することに固執したアドルフ・ヒトラー総統と、彼に追従する空軍上層部と対立。
戦局の悪化とともに対立は深まり、遂には1945年初頭に戦闘機隊総監の地位を解任されることとなった。
解任後はヒトラーの命により、終戦2ヶ月前の1945年3月にジェット戦闘機隊・第44戦闘団(JV44)司令官に就任。
ここでガランドは部隊編成の自由裁量を与えられ、またジェット戦闘機Me262の優先的な供給を受けたJV44には、ガランドを慕って多くのエースパイロットが志願した。
ゲルハルト・バルクホルン(撃墜301機)、ハインツ・ベーア(撃墜220機)、ヴァルター・クルピンスキー(撃墜197機)、ヨハネス・シュタインホフ(撃墜176機)、ギュンター・リュッツォー(撃墜108機)等々、大物エースが一堂に集結したため、
「ドイツの高名な勲章である騎士鉄十字章も、ここでは部隊バッジのように皆が持ってる」ことから、JV44は騎士鉄十字章部隊の異名で呼ばれることとなった。
JV44司令としてガランド自身もMe262を駆って戦闘に参加、3機のアメリカ軍爆撃機を撃墜するが、空戦で被弾、不時着の事故で負傷し、病院でドイツ敗戦の日を迎える。
戦後は2年間の捕虜生活の後、イギリス空軍やアルゼンチン空軍の指導教官を務め、引退後は航空コンサルタントの事業家となり、趣味で自家用機の操縦を楽しむ悠々自適の晩年だった。
人物像
ウィッチが国家の軍事組織に組み込まれるようになった近代以降、最高の地位に到達した人物。
数多くの撃墜スコアを挙げた優れたエースパイロットであり、また部隊の運営や人材育成、新型機材の開発、組織間の調整など、多方面に腕を振るう有能な指揮官である。
カールスラント皇帝からの信任が厚く、連合軍全体のウィッチ部隊運用にも大きな影響力を持ち、アニメ版2期の第501統合戦闘航空団再結成に際しても大いに便宜を図り、小説版では1期の間に起きたウォーロック事件で501の上官だったトレヴァー・マロニー大将が解任された事で、不在となっていた501の上官に就任した事も明かされている。
その関係をいい事に501隊長にして、自らの直属の部下であるミーナ・ディートリンデ・ヴィルケを度々呼び出しては自らの政治活動に利用する事もあるも、反ウィッチ派だった前任者と違い、ミーナをはじめとした501との関係は至って友好的である。
飛行服を着て葉巻を咥えたネコが、手にした銃でネウロイに見立てたネズミを撃っている「マジック・キャット」のパーソナルマークを使用している。
※軍事考証担当・鈴木貴昭氏による「マジック・キャット」のイラスト(外部リンク)
空軍上層部に欲しいものを訊かれた時に、第501統合戦闘航空団のリネット・ビショップの名を挙げたことがあるという。
※キャラクターデザイン担当・島田フミカネ氏のツイート(外部リンク)
http://twitter.com/humikane/status/17704683347
『お偉いさんに「なんか欲しいモンあるか?」ときかれて「501にいるリーネって子がいいなあ」とか言った。好みらしい』
初陣は1936年、ヒスパニアの怪異発生に際してカールスラントが派遣した義勇部隊「コンドル軍団」の一員として実戦デビューを飾る。
ここでは志望と異なる地上攻撃任務に従事したが、この時に実戦経験だけでなく、後方の補給や兵站に関しても造詣を深め、後年に優れた指揮官となる素地を作り上げていた。
ただし、この地上攻撃任務で優秀な成績を収めたことが、後に戦闘機隊への転属を遅らせる結果を招いている。
大尉となった翌1937年、扶桑海事変の勃発に伴い、戦況を報告する観戦武官として扶桑皇国に来訪。
この時、まだ新人だった坂本美緒と出合い、彼女に魔眼の使い方などの戦闘技術を授けている。
扶桑海事変の大規模な航空戦を目の当たりにして、当初からの志望だった戦闘機隊への憧れは更に強まり、度重なる進言の末に戦闘機隊JG27への転属を果たし、次いでJG26では司令に就任した。
1939年よりネウロイの大規模な欧州侵攻が始まると、戦闘機隊長として緒戦のカールスラント撤退戦を指揮。
この間、高性能ながらトラブルが多発したストライカーユニットBf109の改善を強く要求し、また、空軍大将に対してブリタニア製のスピットファイアが欲しいと言い放つなど、現場の声を重んじ上層部にも直言を怖れない彼女の人望は更に高まった。
カールスラント空軍ウィッチ隊総監に就任後も現場主義の姿勢は変わらず、開発中の新型ジェットストライカーを自らの手でテスト飛行、
「天使に押されるような」高性能ぶりを賞賛して開発を強力に推進、カールスラント奪回の切り札としてジェットストライカー部隊・第44戦闘団を設立し、自ら司令に就任した。
この時、既に年齢上の理由から魔力シールド能力を失っており、皇帝からは実戦出動を禁じられていたが、それでも出撃して未公認の撃墜スコアを挙げている。
固有魔法の『魔眼』は、坂本美緒と同様のものだが、発動の際には首から提げた小銃用照準眼鏡GwZF4を使用。「のぞき込む」事で視界を限定、精神集中の補助となり精度が向上する。