ケン・グリフィー・ジュニア
けんぐりふぃーじゅにあ
(英語: Ken Griffey Jr., 本名:ジョージ・ケネス・グリフィー・ジュニア(George Kenneth Griffey Jr., 1969年11月21日 - )
愛称は"ジュニア"("Junior")、"ザ・キッド"("The Kid")。
父ケン・グリフィー・シニアは元メジャーリーガー。タフィ・ローズとは幼馴染である。
1987年のMLBドラフト1巡目(全体1位)でシアトル・マリナーズから指名を受け入団。1990年は中堅手のレギュラーを獲得。
1992年、球団史上初めて2年連続100打点を達成した。
1998年4月13日に史上2番目の若さで通算300本塁打を、9月25日に史上最年少で通算350本塁打を達成した。
1999年はオールスターゲームの本塁打競争で2年連続3度目の優勝を果たした。シーズンでは48本塁打を記録し、3年連続4度目の本塁打王、自己最多の24盗塁を記録。
2000年2月にかつて父が所属したシンシナティ・レッズと1対4のトレードが成立し、9年総額1億1650万ドルで契約した。
2004年、史上20人目となる通算500本塁打を達成した。オールスターゲームにも4年ぶりに選出された。
2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ代表に選出された。
2008年7月31日、トレード期限最終日にシカゴ・ホワイトソックスが残りの年俸と来シーズンのオプション破棄代半分を負担し、ニック・マセット、ダニー・リチャーとの交換トレードが成立、グリフィーは拒否権を行使しなかったため、ホワイトソックスへ移籍した。
2009年に古巣のマリナーズに復帰。同年は、指名打者として出場し、通算本塁打数を630まで伸ばした。
6月2日に現役引退を発表し、22年間にわたるキャリアに終止符を打った。
引退後の2011年2月、マリナーズの特別コンサルタントに就任した。
2011年にコミッショナー特別表彰を受け、2016年には史上最高の得票率(当時)でアメリカ野球殿堂入りを果たした。古巣マリナーズはグリフィーの背番号『24』を永久欠番に指定することを発表した。
2021年1月29日に、マリナーズのコミッショナー付シニアアドバイザーに就任した。
アメリカ本国での一番の評価点はドーピング無縁のナチュラル選手という点であり、ステロイドが当たり前の時代であった1990年代にドーピング無しで本塁打王を4回獲得している。アメリカ野球殿堂入りの際もドーピング疑惑と無縁である点を重視された。