概要
1887年に実業家岡野喜太郎が貯蓄組合・共同社を発足させ、根方銀行→駿東実業銀行→駿河銀行と商号変更だけでなく吸収合併を繰り返して規模を拡大。駿河地域の盟主銀行として地盤を固め、1965年には東証1部上場を達成している。2004年に漢字表記からカタカナ表記のスルガ銀行へ商号変更して今日に至る。
かぼちゃの馬車不正融資事件
かぼちゃの馬車への不正融資が発覚するまで創業一族の岡野家が経営権を握るワンマン経営体質だった。ゆえに、地方銀行で初めてカードローンの申込受付を開始するなどトップ主導の事業がけん引された一方、岡野一族からの厳しい営業ノルマ達成のためにパワハラが横行する社風が根付いてしまった。結果、かぼちゃの馬車不正融資事件を引き起こすことになる。
岡野一族がバブル期に打ち立てた方針によって、スルガ銀行は中小企業相手のリテール融資とカードローン事業に注力していく。するとスルガ銀行は次第に他行ではあり得ない迅速な融資審査を武器に不動産ローンを強みとする金融機関に変貌。一眼レフカメラなどの高額小物類専用のローン制度が定着したことも後押しとなり、金融業界内でも有名な高利益を叩き出す地方銀行として名を馳せた。しかし実態は利益第一主義に走るだけでなく、先述した通りにパワハラ体質の定着、岡野家や経営幹部が報酬を独占するなど不健全極まりない経営状態だった。
その化けの皮が剥がれたのが、シェアハウス「かぼちゃの馬車」を運営するスマートデイズが経営破綻したことで発覚したずさんな融資体制だ。スルガ銀行は資金力のないオーナーにも貸付できる様に不動産会社と結託し、オーナーの通帳残高を水増しする改ざん策をさも当然に推し進めていった。それがサブリースというオーナーへの家賃保証を売りにしたスマートデイズの無茶な経営が行き詰まった末、芋づる式に不正の数々が暴かれていった。
不正融資には経営陣も関わっており岡野光喜会長はじめとする役員5名が任責辞任。スルガ銀行がお得意としてきた不動産向け新規融資は金融庁から半年禁止された。合計1兆円を超えた不正融資が大々的に報道されたことで、毎年最高益を更新し続けていたスルガ銀行の株価は1/5まで下落してストップ安に陥った。
ちなみに謝罪会見には長年トップとして君臨した岡野光喜会長の姿はなかった。証拠を見せろよ!証拠を!!
解説動画