概要
1931年に倉敷市民たちが創立した倉敷無尽を本流として1941年に興国無尽と別所無尽を吸収合併、三和無尽となり岡山市に本店を移転させて1943年に中国無尽を買収した。戦後の1951年に三和相互銀行となり、1969年に山陽相互銀行に商号変更して、1989年の普通銀行転換にともないトマト銀行へ商号を変えた。改名しすぎ。
とはいえ少しだけ真面目に解説すると1941年の改名は対等合併による新設のために元となった各無尽の影響を感じさせない必要があった事(三和とは「三つの無尽の和合」のこと)、1951年の改名は無尽から銀行への組織変更(をしないと組織の存続ができなくなった事)によるものである。
そして1969年の改名は岡山県内でまったく関係の無い大手六都市銀行のひとつである三和銀行(現在の三大メガバンクのひとつ三菱UFJ銀行)が頭角を現し、東京・大阪の企業(およびそれらと取引のある企業群)側から紛らわしいと苦情が出たために長年使い続けてきた「三和」の看板を半強制的に下ろさせられた(そのため「せめてもの地元の抵抗」として新行名に「三和」に音のよく似た「山陽」を掲げた)事に由来する。
ちなみに銀行名が「トマト」だからといってトマトの栽培や販売事業に手を付けているわけではない。
しかし、1989年の商号変更時に、国内最大のトマト関連メーカーであるKAGOMEが口座を設立してくれている。
なぜ行名を「トマト」に?
トマト銀行HPの社名由来を紹介するページによれば、「トマトのもつみずみずしく、新鮮で、明るく健康的なイメージが、当社の目指すべき企業イメージとピッタリ合う(原文ママ)」ということでトマト銀行になったらしい。1988年の新語・流行語大賞では銅賞を獲得するなど命名当時のインパクトは大きかったことも窺える。
ちなみにトマトの都道府県別生産量ランキングで岡山県は下から数えたほうが早い。
地元の名産を尊重して桃だのマスカットだの別の農産物を行名とする考えはなかったのだろうか...。
しかし、実のところ1969年の行名改名のいきさつから「もうあんな思いはしたくない」という気持ちも強かったものと思われる。それこそ地元の名産に基づいた名にすれば、逆に同じような思惑を持った同名の企業がでてきて、再びすったもんだが起こりかねない。(実際、桃やマスカットを企業名に掲げている岡山の企業はいくつかあるし、旧名に使われていた「山陽」も地域名であるため地元新聞に使われている呼称である)その願いと様々な思惑のせめぎあいが「トマト」に行き着いたものと思えば、切なかったり納得できるものもないではないかもしれない。
なおネットバンキングの専用支店名は「ももたろう支店」である。
これに関して言えば、実は桃太郎トマトという品種は存在する(1985年、タキイ種苗により開発・発売)。そしてJAおかやまが「これこそは我が県のトマトである」と盛り上がった挙句、10月10日を「岡山県産 桃太郎トマトの日」にしてしまっている(全国トマト工業会も同じ日をトマトの日にしているので、まぁ間違ってはいないのだが……)。
ただし、タキイ種苗の本社は京都市下京区(梅小路通り猪熊東入)である。
テレビCM
トマト銀行という名前だけでも印象に残るが、風変りな見栄えを維持するためかCMもクセが強い。大垣にある銀行とは別のベクトルでダンスするCMを制作したり、自社カードローン「Q-Li」をトマトとキュウリにかけわせて宣伝するなどとにかくクセが強いんじゃ。
最大の競合相手おかやま信用金庫
人員、資産、店舗網など第二地方銀行として体を保っているトマト銀行だが、最大の競合は地方銀行の中国銀行ではなく中小企業融資で競合するおかやま信用金庫とされる。毎年発表される帝国データバンクのメーンバンク調査でも取引企業数が常に僅差となっており、建設や不動産などの業界ではおかやま信用金庫の後塵を拝している。
地元スポーツクラブのスポンサー支援においても同じことが言え、トマト銀行とおかやま信用金庫ともにJリーグクラブ・ファジアーノ岡山の公式スポンサーとなっている。
これらの事情からも、少子高齢化による人口減少によって取引企業数が減少すればトマト銀行とおかやま信用金庫が合併する可能性もあり得ない話ではない。
関連タグ
おかやま信用金庫・・・最大の競合相手
マネーアイドルエクスチェンジャー・・・漫画版に、この銀行が由来と思われるキャラである「三越とまと」(同作主人公三越さくらの妹)が出てくる。
ファジアーノ岡山:公式スポンサーになっている。また、チームサポーター用の専用口座とデザイン通帳&キャッシュカードが設定されている。