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概要編集

かつてソビエト社会主義共和国連邦(СССР/USSR)が、現在はロシア連邦が開発・運用している使い捨ての有人軌道往還機

「ソユーズ」(Союз)とはロシア語で「団結、結合、同盟、連邦、組合」を意味する。英語の「ユニオン」と同義である。


特徴編集

1960年代アメリカアポロ計画に対抗する有人月旅行船として開発された。初飛行は1967年4月で、この時は有人地球周回飛行に成功したものの、大気圏再突入時にパラシュートが開かない事故が発生し、乗員は死亡している。初期のソユーズには200もの技術的欠陥があったとされ、1970年代まで宇宙飛行士が死亡または重傷を負う事故を何度か起こしているが、ミッションごとに改良を重ね、今日では「最も安全で経済的な有人宇宙船」と高い評価を受けている。


軌道船、ロケットとも基本設計が1960年代に遡る「枯れた技術」を使っているが、技術や素材の進歩を取り入れ細かい部分は改良されている。


また単に保守的な設計を行うだけでなく、ソ連流の徹底した自動制御が導入されており、緊急時以外は基本的に自動操縦となっている。


業績編集

1967年4月:ソユーズ1号を打ち上げるが、軌道上で故障が発生し予定を切り上げて帰還、着陸時にパラシュートが作動せず帰還カプセルが地面に激突し炎上、宇宙飛行士のウラジミル・コマロフが死亡。

1968年10月:ソユーズ2号(無人)と3号(有人)がランデブーに成功。

1969年1月:ソユーズ4号と5号がドッキングに成功。

1969年10月:ソユーズ6号、7号、8号が、史上初の有人宇宙船編隊飛行。

1971年4月:ソユーズ10号が世界初の有人宇宙ステーション・サリュート1号とドッキングするが搭乗に失敗。サリュートとの往還は同年6月にも行なわれ、この時は成功するものの、サリュートでの活動を終えて帰還中ソユーズで空気漏れが起き。乗員3人全員が死亡している。

1975年7月:ソユーズ19号がアポロ18号とのドッキングに成功。

1986年6月:サリュート計画終了。以後ソユーズはミール計画の往還手段として使用される。

1990年12月:日本人初の宇宙飛行士としてTBS記者の秋山豊寛がソユーズに搭乗しミールへ。

2001年3月:ミール計画終了。以後ソユーズは国際宇宙ステーション(ISS)への往還手段として使用される。

2003年2月:コロンビア空中分解事故発生により、ソユーズと併用してISSへの往還手段として使われていたスペースシャトルが運用停止。2005年7月までの約2年半の間、ソユーズがISSと地球を結ぶ任務を担う。

2011年7月21日:この日をもってスペースシャトルによるISSとの物資輸送往還が廃止(人員輸送往還は2009年11月16日で廃止)。ソユーズが唯一の往還手段となる。

2020年11月16日:アメリカ合衆国スペースX社の商業有人宇宙機『クルードラゴン』有人運用飛行開始。ソユーズが独占していた国際宇宙ステーション(ISS)への人員輸送が終焉する。

2021年12月8日:日本の民間人宇宙旅行者である前澤友作氏および平野陽三氏2名を乗せたソユーズ2.1a型三段式ロケットがカザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。


その他編集

打ち上げロケットは、R-7スプートニクボストークの打ち上げロケットから改良しているため、ロケットの形はかなり似ている。


ちなみにR-7ロケットはR-1ロケットの発展型、R-1ロケットはドイツのV2をコピーしたものであるため、ソユーズはV2の血脈を受け継いでいるロケットになる



関連タグ編集

ソ連 ロシア 宇宙船 人工衛星 ロケット

スプートニク ボストーク ミール 国際宇宙ステーション アポロ

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