冷戦時代には西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の軍隊のことであったが、西ドイツ主導で東西ドイツがドイツ連邦共和国の名において統一されると、ドイツ連邦軍は統一ドイツの国軍の正式名称ともなった。この記事では主に西ドイツの国軍としてのドイツ連邦軍の歴史を扱う。現在の東西統一後ドイツ連邦共和国の国軍については ⇒ ドイツ軍 を参照
概要
第二次世界大戦の敗北により、ドイツは完全に武装解除され、いかなる再軍備も禁止された。
占領下のドイツの国防は、連合国の主要4カ国である、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連が担当していた。
しかし、朝鮮戦争をきっかけとして、東西の緊張が高まるに連れ、ドイツの非武装政策が軌道修正された。
ソ連の指導のもと、ドイツ民主共和国(東ドイツ)は密かに再軍備に入っており、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)側も再軍備を進めることとなった。
1950年から再軍備への準備が始まり、その中で旧国防軍との決別を明確に示した。
1955年11月12日、新しく生まれ変わった「ドイツ連邦軍」が誕生し、その任務は専守防衛のみとされた。
冷戦中、ドイツ連邦軍はNATOのヨーロッパ防衛の最前線となった。
東西統一後は、西ドイツのドイツ連邦軍が東ドイツの国家人民軍を吸収する形となり、現在に至る。
90年代の湾岸戦争の際に派兵が出来なかったが、国外から批判を浴びたことで防衛任務は世界各地での危機への対策や紛争防止も防衛に当たるとして連邦議会の承認により派兵が可能となった。
当初は志願制であったが反軍感情から定数を満たせず対策として徴兵制を採用しており、満18歳以上の男子には兵役義務があったが良心的兵役拒否として福祉施設等で従事する代替義務を代わりに行うことが出来た。2011年7月4日に徴兵制が廃止された。