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概要編集

1973年、1月23日生まれ。1988年から空手を始め、1991年に来日。池袋にある極真会館本部道場に入門し創設者である大山倍達の内弟子となる。この過程で日本語もマスターし、現在も通訳なしで受け答えができる。

ニックネームは、「青い目のサムライ」、「大山倍達最後の内弟子」などがある。


1998年7月に名古屋で開かれたK-1に初参戦し、ステファン・レコにKO負け。その後2000年に同じく名古屋で開かれたGP予選トーナメントでは1回戦を1ラウンドKOで勝ち上がり、準決勝では当時勢いに乗っていたジェロム・レ・バンナに1RKOで敗れるも、真っ向から立ち向かい観客を沸かせた。


2001年には名古屋での予選トーナメントに怪我で欠場するも、8月のJAPAN GPに天田ヒロミの代理で出場。決勝戦では3連覇を狙う武蔵から延長ラウンド終了間際にダウンを奪い、判定勝利で優勝した。


同年12月、K-1 WORLD GP決勝トーナメントに日本代表として出場し、1回戦でアレクセイ・イグナショフに2RKO負け。この時にイグナショフの膝蹴りで鼻骨を骨折した。


2002年には4月にピーター・アーツからまたも膝蹴りでKO負けを喫すると、6月にはイグナショフと同門であるセルゲイ・グールとの試合でローキックを膝でカットされ、右の脛を骨折。この時に倒れ込んだ際に「(足が)折れた、折れた!」と日本語でアピールしていた。


現役引退後はジムトレーナーとなり、レオナ・ペタスやシナ・カリミアンなど現体制のK-1で活躍する選手の指導を行なっている。


人物編集

サッカー選手の中田英寿のボディーガードをしていたことがある。


獲得タイトル編集

K-1 JAPANGP 2001 王者

関連タグ編集

空手極真空手K-1


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キャラクター・人名 格闘家

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