ハッセルブラッド(Hasselblad)はスウェーデンに本拠を構える高級カメラメーカーである。
主に、6cm×6cmの中版一眼レフを中心に手掛けている。
或いは、同社が製造する一眼レフカメラなどのブランド名。
知名度は他に比べて低いものの創作作品で登場させる際には、Leicaやコンタックスといったクラシックカメラ、或いは通常のフィルム・デジタル一眼レフといったよく知られたカメラよりも、一層マニアックな写真愛好家を表すアイコンとして非常に有効なアイテムである。
沿革
元々は、イーストマン・コダックなどの製品をスウェーデンに輸入する商社であったが、第二次世界大戦をきっかけにカメラの製造事業を行うようになる。
製品
1600Fの登場
戦後暫く経った1948年に最初の中版1眼レフカメラ『1600F』をリリース。
これは、本体の高い工作技術と優秀なレンズ、充分な、アクセサリー類がラインナップされ、それぞれの状況で組み替えて使用する「システムカメラ」であり、当時の職業写真家の機材でセオリーであった「大判カメラ」とは性質が異なる画期的なものであった。
本モデル登場後から、このモデルのコンセプトを継承したモデルが登場し普及すると、肖像写真や広告写真などの報道写真以外で大判カメラを使用していたカメラマンは多くがハッセルブラッドなどの中判一眼レフカメラへ機材を変更した。
当時のカメラ事情
この頃多用されていた「大判カメラ」と云うのは、野球用のミットや作業用ヘルメットほどの大さのもので、撮影時には蛇腹がついたレンズを引き出して撮影し、フィルムは複数の規格があったものの、一般的であったシノゴこと4×5inフィルムの場合はA5普通紙と同じくらいの大きさで非常に大きく現場では扱いづらいものであった。
レンズは標準と広角があれば、あとはフィルムを現像の際に増減感するなりプリントする際にトリミングするなりといった具合で、撮影してから現像を経てプリントする迄の自由度は高かったが、実際に撮影するカメラマンは非常な熟練を要したほか、負担も非常に大きく、撮影も一発勝負というものであった。
逆に、Leicaやコンタックスといった35mmの小型のカメラは「小型カメラ」の範疇では最上級の性能であったものの、アマチュア写真家も用いていた二眼レフの高級機などと比べると、引き伸ばした際の画質で劣るため、特にフィルムの性能が低かった当時は「戦場カメラマンのカメラ」「職業写真家のサブカメラ」「アマチュア写真家のメインカメラ」といった立ち位置で、完成度が高いカメラが多くあったにもかかわらず職業写真家全般の主流からやや距離が置かれていたそうである。
対してハッセルブラッドは、優秀なレンズで「大判カメラに肉薄する画質」「中判カメラの扱いやすさ」を両立させた傑作となり、根強いファンを獲得した。
画質の割にコンパクトであることから、スタジオでモデルや商品(コマーシャル写真)を撮影するカメラとして使用するカメラマンもいれば、積極的に外に持ち出してスナップ撮影に用いるカメラマンもいるとか。
デジタルカメラ
ハッセルブラッドの一眼レフは、前から
「交換可能なレンズ」-「レフボックス(上にファインダー)」-「フィルムバッグ」
に分割できる構造であるため、フィルムを納めるフィルムバッグの部分を、CMOSセンサーとメモリーに置き換えて、中版デジタル一眼レフに改造できる機種や、最初からデジタル一眼レフとしてリリースされた機種も存在する。