『リーザ』の他の意味についてはこちらも参照のこと。
概要
1986年より販売を開始。
2代目ミラ(L70系)をベースに全高を80mm低く、ホイールベースを120mm短くすることで誕生したスペシャルティカー。セルボの対抗馬として企画された。このダウンサイズによって生まれたボディは「エアロ・ヘミサイクル(半円形)」と名付けられ、リーザのアイデンティティの一つになっている。
車検証の記載上は4人乗りだが、実際は前席優先で所謂2+2の体を取っていた(事実デビュー当初は4ナンバー商用モデルの設定もあった)。この頃は物品税が課されていた時代でもありリーザも当初はバン仕様が販売の中心になっていた(走りのターボ仕様も初期はバンにのみ設定があった)。
1990年のマイチェンで型式をL111Sに変更。エンジンを新規格に対応させたEF型に換装すると共に、前後バンパーの延長でリニューアルを行った(ミラとハイゼット/アトレーの新規格対応を優先させるため、マイチェンのスケジュールが後回しになっていた)。バン仕様の廃止でセダン(5ナンバー)仕様に一本化されると共に、モデル末期の宿命からか下記の事情を含めたターボのセダン化等のグレードの大幅な再編を実施した。
1991年に生産終了、翌'92年に後継車であるオプティが登場したが大量の在庫を捌くのに時間がかかり、そこから一年半後に販売を終了した。
リーザスパイダー
1991年、モデル末期のリーザに追加されたオープン仕様。
1989年の東京モーターショーに参考出展されたときは後席を設けた4人乗りでコンセプトカーが発表されていたが、幌の格納やボディ剛性の確保を考慮した結果、市販版は2シーターとなった。
ハイゼットデッキバンと同様、半分完成させた個体のルーフとB・Cピラーを熟練工が文字通りブッタ切り、改造車としてラインオフさせたのち検査場への持ち込み登録を行うことで生産していた。
コンセプトカーでの反響が想像以上に大きかったため、ダイハツとしても自信を持って開発にゴーサインを出したものの、蓋を開けてみれば既にカプチーノやビートと言ったラスボス級のライバルが存在していたことに加え、走行性能もボディ剛性の低さに起因した操安性の未熟さが露見。総生産台数わずか380台という爆死っぷりで9か月での幕引きとなった。
しかし、そんな壮絶なヒストリーに心打たれたマニアたちの目には高く止まり、ベースとなったリーザが殆ど廃車の運命を辿る(もちろん探せばタマはあるが)中にあって、スパイダーは動態保存されている個体が割と多い。