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概要編集

 ヴェロセットとは1905年から1971年まで存在していたベロス社のオートバイブランドである。イギリスのバーミンガムを本拠地にバイクを製造していた。


 小規模な家族経営だったが、優秀なオートバイを製作することで名前を馳せ、1920年代から1950年代までの様々なレースや1949年と1950年に連覇を成し遂げたロードレース世界選手権350ccクラスにおいて、「いつも写真に映る」(Always in the picture)と評される程の強さを発揮した。また、今日のオートバイでは当たり前の機能であるシフトチェンジの位置調整が自動で決まるフットシフトであったり、油圧ダンパーを備えた後輪のスイングアームを採用するなど偉大な技術開発を次々と成し遂げた。


 第二次世界大戦終結後に開発したヴェロセットLEは部品量産にかかる経費が会社の予想を超過してしまい、利益にはあまり繋がらなかったが、過去最高の売上台数を記録した。またその安定性から優雅な敬礼を可能にしたLE型は警察に好まれその歴史の終わりまで製造され、そのエンジンの静かさから「ささやくウィリー」(ウィスパリング・ウィリー)という愛称もあった。

 


 しかし、1960年代に自社開発のスクーターで失敗したことで金策に苦しみ新しい技術を取り入れられなくなったことや、日本製オートバイの輸入が増えたことで衰退し、1971年2月にその歴史を閉じた。


ヴェロセットと日本編集


 前述した通りヴェロセットは小規模なメーカーではあったが、日本には大正の頃から輸出されており、戦前に人気のあったオートバイレースの常連であった。


 1930年にはヴェロセット社から招待されたレーサー、多田健蔵が日本人として初めてマン島TTレースでヴェロセットKTTを走らせている。当時41歳と決して若くは無く、舗装路でのレース経験もない多田は完走すら危ぶまれたものの、4時間4分15秒で走り抜き15位で完走した。(ちなみにレース後の表彰式に多田は羽織袴姿で登場。理由は「なまじ洋服を着てはチャップリンの兄弟みたいでダメだから」とのこと)


 第二次世界大戦を挟んでヴェロセットが消滅して久しい現在でも、マニア達が英国などから平行輸入したモデルが走っている。

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