概要
不潔恐怖症とは強迫性障害の一種である。
強迫性障害とは「自分の意に反して不合理な行為を反復してしまう」という症状のこと。
そして「何となく汚い気がする」という強迫観念に駆られて、「何度も手を洗う」「手すりに触れない」「風呂に入れない」などの強迫行為がやめられなくなるのが不潔恐怖症と呼ばれる強迫性障害である。
漠然とした不安感が原因としてあるため、強迫行為の内容に合理的理由を見つけることは難しく、「他人のものはいくら清潔でも触れられないのに、自分のものはどれほど不潔でも平気で触れる」「貴金属や金銭に限っては不潔でも平気」といったように特定の方向には驚くほどルーズな症例も存在する。
ゴミに触れなくて部屋を掃除できなかったり、風呂の汚れを気にして入浴できなくなったりして逆に不潔になっていることすらある。
完全滅菌された無菌室でも不潔恐怖症の人間が安堵できるとは限らず、世間一般でゴミ屋敷と評されるような状態で平然と暮らせたりもする。
なお不潔恐怖症の人間は、俗に潔癖症と言われる人々のように「綺麗好き」ではない。
その行為が現実的に求めるべき「綺麗」に繋がらないことは重々承知の上で、本人もそんなことは止めたいと思っているのだが、思考が支配されてしまったりパニックを誘発したりするためにやめられないのが恐怖症である。
治療法
投薬
うつ病と同様の投薬が行われる。
極めて簡単かつ効果も絶大であるが、患者の体の相性と要相談であり、受診必須。
自己判断で投薬を中断するとリバウンドの恐れがあるので、医師の指導に従って最後まで継続する必要がある。
暴露反応妨害法
我慢して慣れる治療法。
手すりに触れないなら手すりに触り、手を洗わずにいられないならば手洗いの回数を減らしていく。意識して段階的に強迫行為を減らすことで、最終的には強迫行為を失くしていくことを目的にする。
単純に見えて結構難しい。「手洗いを何十回もしなきゃ気が済まない」強迫行為を減らしていった結果「手洗いを3回しなきゃ気が済まない」に再定着する可能性もあり、逆に行き過ぎて「絶対に手が洗えない」状態に陥る可能性もある。生兵法は大怪我のもと。
時間と根気と配慮が必要なデリケートな療法であり、やはり受診は必須。
俗称とそれに伴う混同
不潔恐怖症は俗に潔癖症と呼ばれることが多いが、一方で「潔癖症と不潔恐怖症は別物」と解説されることもあり、とてもややこしい状態。
潔癖症という言葉には「重度の綺麗好き」と言う意味合いもあるわけだが、既に述べたように綺麗好きと不潔恐怖症は全く別のものである。
綺麗好きな人間の多くは、あくまでも科学や思想、信条に基づいた価値基準で清潔不潔を判断しており、交渉や学習による基準変更も不可能ではない。
一方不潔恐怖症の患者が短期的な学習で不快感を解消することはほとんど不可能であり、治療を必要とする疾患である。
両者の混同は極めて危険なのだが、綺麗好きの延長線上に不潔恐怖症があるかのように説明している文章が数多くあるのが現状。
関連タグ
性嫌悪…異性との関わりを極端に避けたり、触れ合うことを拒否する点が潔癖症と似ている。