君主と議会多数派、両方の信任を受けることで決定される議院内閣制。
二元代表制との混合に注意。
概要
議会下院多数派のみの信任を受けて内閣を成立させたり、
首相の辞任が=内閣の総辞職に繋がる「一元的議院内閣制」(現在の議院内閣制)になるのは十九世紀になってから。
内閣
十八世紀初頭英国のジョージ一世の下、国王の国政関心の低さから執政の会議(内閣)の議長が首相と呼ばれるようになった。
ただし、大臣は主に貴族。議会下院(庶民院)に議席を持つ必要などなかった。
故に十八世紀の内閣は、あくまでも国王の執政補佐機構であった。
その為、内閣は国王との信任関係であり、議会と対峙していた。
議院内閣制への移行(二元的議院内閣制の誕生)
十八世紀半ば、ウォルボールが下院での信任投票に敗北した際、
国王からの信任は継続していたにもかかわらず首相を辞職した事を端緒として生じた。
ただし、その後100年に渡って国王の政治関与は続いた。
又、首相の辞任≠内閣の総辞職で、首相が辞任しても国王と信任関係が個別に存在している閣僚は、次の首相の下でも在任した。
このような政治体制を現在の政治体制と分けて、「二元的議院内閣制」と呼ばれる。