概要
清朝の第6代皇帝「乾隆帝」の側室で、第7代皇帝「嘉慶帝」の生母。
満洲貴族に仕える漢人の出身で実姓は「魏」だったが、後に満州姓「魏佳」が授けられた。
側室として「貴人」の位が与えられ「魏貴人」となる。
1745年、18歳の時に「嬪」に昇格すると同時に「令」の名が与えられ「令嬪」となる。
1748年に「妃」に昇格して「令妃」となり、同年に富察皇后が崩御。
1759年に「貴妃」に昇格して「令貴妃」となる。
1765年、第二皇后だった「清高宗继皇后」が廃妃扱いとなり一年後に病死。
それと入れ替わる形で、令貴妃は実質的な代理皇后として側室の中で最高の位「皇貴妃」に任命され「令皇貴妃」となった。
1775年に死去。乾隆帝の親族として埋葬され「令懿皇貴妃」という諡号が与えられるが、息子が皇太子に立てられたことで、その生母として「孝儀皇后」の諡号が追贈され、第三皇后となる。
1796年に乾隆帝が崩御した後、嘉慶帝は母に「孝儀純皇后」の諡号を贈ったとされる。