艦艇情報
艦名 | 伊号第四十七潜水艦 |
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艦級・何番艦 | 巡潜丙型7番艦 |
軍備・戦備計画 | マル急計画 |
建造所 | 佐世保海軍工廠 |
起工 | 1942年11月21日 |
進水 | 1943年9月29日 |
竣工 | 1944年7月10日 |
解体・戦没・処分等 | 1946年4月1日 |
除籍 | 1945年11月30日 |
所属
年月日 | 所属 |
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1944年10月8日以前 | 第六艦隊 第11潜水隊 |
1944年10月8日 | 第六艦隊第1潜水戦隊隷下 第15潜水隊 |
1945年9月2日 | 無所属 |
1945年11月30日 | 除籍 |
概要
本艦は、マル急計画で計画されて建造された。
1944年7月10日に竣工し、横須賀鎮守府籍に本籍を置いた。
最初の所属は第六艦隊隷下の第11潜水隊で、竣工してから約2ヶ月は訓練を行った。
1944年8月上旬には、潜水艦隊の新型装備に関する実験や訓練が行われたり、第三艦隊隷下の第十戦隊に所属する初月と雪風の指揮下に入って対潜訓練に協力した。
1944年10月8日、所属を第六艦隊第1潜水戦隊隷下の第15潜水隊に編入した。
1944年10月下旬、横須賀海軍工廠にて特殊工事を行い、その後呉軍港で追加工事を行った。1944年10月29~31日、回天との訓練が実施され、1944年11月8日に回天を搭載して、伊号第三十六潜水艦と伊号第三十七潜水艦と共に第一次玄作戦菊水隊として参加する。
1944年12月19日、伊号第三十六潜水艦、伊号第四十八潜水艦、伊号第五十三潜水艦、伊号第五十六潜水艦、伊号第五十八潜水艦と共に第二次玄作戦金剛隊として参加することになり、1945年1月12日に作戦を実行した。
玄作戦の終了後、回天の搭載量を4隻から6隻に増やす改造を実施し、その際甲板に設置していた主砲を撤去している。
この頃、アメリカ軍による沖縄来攻があると判断し、残存していた潜水艦を沖縄方面に集結させることを決定させる。
1945年3月28日、伊号第四十四潜水艦、伊号第五十六潜水艦、伊号第五十八潜水艦と共に回天特別攻撃隊の天武隊となった本艦は南西諸島方面に出撃するが、敵哨戒機の攻撃を受け、その後燃料漏れが発見されたため本土に戻ることを決めるが、敵哨戒機に再び攻撃を受けたがやり過ごすことに成功する。
1945年3月31日、鹿児島県内之浦に到着すると損害調査が行われ、不発爆雷が司令塔に残っていたことが判明する。
1945年4月1日、修理のために呉に帰投する事になり回天特別攻撃隊の天武隊から外される。
1945年4月17日、修理が完了する。
1945年4月22日、伊号第三十六潜水艦、伊号第五十三潜水艦と共に回天特別攻撃隊の天武隊となった本艦は沖縄方面に進出する。
1945年5月2日、敵輸送船団を発見し回天を3艇発艦させる。
1945年5月7日、敵軽巡を発見し回天を3艇発艦させる予定だったが、2艇の電話機不調により1艇のみ発艦させた。
1945年7月19日、伊号第五十三潜水艦、伊号第五十八潜水艦、伊号第三百六十三潜水艦、伊号第三百六十六潜水艦、伊号第三百六十七潜水艦と共に回天特別攻撃隊の多聞隊になった本艦は沖縄方面に出撃する。
1945年7月29日、フィリピン島北島方面に移動したが、7月30日に台風の暴風圏に入ってしまう。
1945年8月1日、台風の影響で搭載していた回天1隻の喪失と他の回天の浸水の被害を受ける。
1945年8月6日、帰投命令を受ける。
1945年8月13日、回天5艇と回天搭乗員を途中で降ろして、8月14日に帰投した。
1945年8月15日、終戦を迎える。
1945年11月30日、除籍される。
1946年4月1日、ローズエンド作戦のため、他の残存潜水艦と共に五島列島沖に集められ、海没処分された。
撃沈総数は1隻で、撃破総数は1隻であった。
救助劇
時は第二次玄作戦金剛隊として参加して移動中の1944年12月30日の早朝であった。
グアム島西方約540km付近で本艦の見張り員が筏を発見した。当初はアメリカ兵の生き残りだと思い、捕虜として捕まえようと近づいて声を掛けると、8人の日本兵が返事をしたのです。この8人の日本兵は海軍の陸戦隊の兵員で、アメリカ軍に占領されたグアム島から脱出してきたのである。
だが艦長と先任将校は相談し、食料を与えてフィリピンの方角を教えて突き放す方針にしようとしていました。というのも助けても、今から作戦に向かう本艦に乗せても命の保証が出来ず、殺しに向かわせるようなものだったからです。しかし、回天の搭乗員の1人が艦長に回天に乗って確実に死ぬ自分ら4人の代わりに8人を助けて欲しいという節を伝えました。本来、回天の搭乗員は潜水艦にとってお客扱いであるため、口出しできる立場にありませんが、この回天の搭乗員と艦長は同郷の出身で、回天の搭乗員の兄と艦長は兵学校の同期と言う真柄でありました。この親密な真柄から8人を助けられることになったのです。
1945年1月12日、艦長に進言した回天の搭乗員は、他の回天の搭乗員と共に回天に乗って出撃し帰ってくることはありませんでした。
一方救助された8名の日本兵は、玉砕が行われたグアム島から帰って来たため、厳重な監視下で取り調べが行われたが、玉砕電以降の脱出と判明し、敵前逃亡の疑いは晴れた。また8名のお陰でグアム島の詳しい情報が明らかとなった。
8名は戦争期間を乗り越えて存命した。
再発見
時は大きく過ぎて2015年、日本テレビがローズエンド作戦で沈んだ24艦の潜水艦の内、伊号第四百二潜水艦を東京大学名誉教授の浦環氏に相談し、その結果マルチビームソナーとROVを使用して伊号第四百二潜水艦の特定に成功した。
浦環氏は残り23隻を調査するために、一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会を立ち上げて「伊58呂50特定プロジェクト」実行委員会を作り、調査を開始した。
2017年5月、伊号第四百二潜水艦の調査時のマルチビームソナーを元にサイドスキャンソナー調査を実施し、2隻の海底にほぼ垂直に突き刺さった潜水艦が発見される。
2017年8月22日から4日間、無人潜水機による調査で海底に垂直に突き刺さった潜水艦の内、1隻が本艦であることが判明した。
関連タグ
1番艦伊号第十六潜水艦 2番艦伊号第十八潜水艦 3番艦伊号第二十潜水艦
4番艦伊号第二十二潜水艦 5番艦伊号第二十四潜水艦 6番艦伊号第四十六潜水艦
7番艦伊号第四十七潜水艦 8番艦伊号第四十八潜水艦