演者一覧
CV:相沢正輝
松本寛也(舞台『「はじめの一歩」The Glorious Stage!!』)
概要
人物
1964年7月3日生まれ / A型 / 身長168.5cm
元WBA世界フェザー級1位で、元日本・OPBF東洋太平洋フェザー級チャンピオン。日本王座は通算7度、OPBFは1度防衛している。
濃い髭や鋭い目など、とても30前には見えない風格が特徴。幕之内一歩の日本タイトル初挑戦時の王者で、一歩の戦歴に初めて黒星を付けた。最終戦歴は23戦21勝17KO2敗。
リカルド・マルチネスに破れて23歳で一度は引退するも、不屈の闘志を得て26歳で復帰を果たした。ちなみにこの時の伊達は世界初挑戦であったが、リカルドは2度目の防衛戦であった。この試合では全く歯が立たず、2R(1分12秒)KO負け。伊達の鼻の傷は、リカルドが放ったアッパーによって骨をへし折られた痕である。
既婚者であり、息子も一人いる。妻の名前は愛子、子供の名前は雄二である。
本来なら雄二の上にも、子が一人いるはずだったが、伊達がリカルドと戦うためにメキシコに赴いていた間に、愛子が過労からくる貧血を起こしてしまい、階段を転げ落ちて流産してしまっている。愛子は「連絡しないでほしい」と医師に懇願したため、伊達は日本に戻ってきてから、初めて流産の事を知った。十分に現役を続けられるはずだった伊達は、初めての敗戦と流産という多大な衝撃を受け、そのまま引退する。
その後は義兄の会社で順調にサラリーマンで昇進をして、雄二も生まれるなど順調な生活を送るが、ボクシングを忘れることはできず、「世界チャンピオンベルトを巻いて、『雄二ではない子供』を抱き上げる自分」の夢を度々見る。そして、愛子からの「私にも雄二にも、生まれてこなかったあの子にも、本当の姿をもう一度見せてほしい」という言葉に、26歳で再起を決意。復帰後、2戦目で日本タイトルを奪取する。
その後、一歩を含む挑戦者たちを倒し続け日本王座を4度防衛。日本王座を返上し、世界前哨戦を挟んでから未だに世界チャンピオンとして君臨していたリカルドにWBA1位として7年ぶりに挑む。この時点でのリカルドの戦績は62戦62勝58KOで、18度目の防衛戦だった。2R終了までは互角の戦いを続けていたものの、長年忘れてしまっていた従来のスタイルに戻ったリカルドに3Rから防戦一方となる。8R終了時点で肋骨を数か所骨折し、9Rでは右拳粉砕骨折と顎を複雑骨折する。10R目に渾身のハートブレイクショットをねじ込むが、骨折の影響で威力が足りず、リカルドの右ストレートを受けて敗北。10R(2分14秒)KO負けとなった。
この時のケガがもとで引退を余儀なくされ、以降は仲代ジムを離れ弟子の沖田佳吾と共に伊達ボクシングジムを立ち上げた。東日本新人王になった選手がいるなど、育成は順調な様子。
入院中、日本の軽中量級を引っ張って欲しいと、骨折した右手で一歩にバトンを託した。
ちなみに、酒には強いらしいが、一度酔うとかなり酒癖は悪い。
モデルは、かつて東洋チャンピオンだった尾崎富士雄。
ファイトスタイル
復帰後は距離を保ちながら試合を進める、スマートなスタイルを得意としているが、復帰前は喧嘩腰の荒々しい戦い方を好んでいた。このため、アウトからインまで様々なボクシングをこなせる多様な引き出しを持つ。
得意技はコークスクリューと、その威力を利用してのハートブレイクショット。心臓を正確に撃ち抜かれると、心臓が数秒ほど止まってしまい、その間、相手の選手は体を動かせなくなるという、恐ろしい技である。
また、長年、スパーリングですらヘッドギアをつけない緊張感の中で培った「洞察力」を武器としており、相手の性格や感情すらも考慮して、動きを読む。パンチが当たった瞬間、力を受け流すように首や腕を動かし、相手のパンチを殺すことすらできる。
そして最大の武器は、年齢的に負けたらもう後がないという執念である。