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佐郷屋留雄

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さごうやとめお

戦前の日本で活躍した右翼活動家の一人である。 時の首相だった浜口雄幸を襲撃した事で知られている。

浜口雄幸首相遭難事件

第一次ロンドン海軍軍縮条約が発効された直後の1930年(昭和5年)11月14日、岡山県で実施される陸軍の演習を視察する為、東京駅のホームから列車に乗ろうとした第27代内閣総理大臣の浜口雄幸に対し、佐郷屋は至近距離から拳銃を発砲したが直ちに取り押さえられ現行犯逮捕された。

動機については自身が右翼団体に属している事を伏せた上で「浜口は社会を不安におとしめ、陛下の統帥権を犯した。だからやった。何が悪い」と供述した一方、「統帥権干犯とは何か」という質問には答えられなかったと伝えられている。

その後、浜口首相は一命を取り留めたものの、翌年にこの時の傷がもとで死去した。ただし、浜口首相が特殊な細菌の保有者であったことから、死因はこの細菌が傷口に侵入したことによる化膿によるものと判断されている。佐郷屋は殺人未遂罪で起訴、一審、二審判決ともに死刑、1933年11月6日に上告が棄却されたことにより殺人罪による死刑判決が確定したが、1934年に恩赦で無期懲役に減刑され、1940年に仮出所している。

なお、現在の東京駅には事件現場の真下にあたる中央通路の新幹線中央乗換口付近に、この事件を解説する銘板と浜口首相が襲撃された位置を示す目印が遺されている。

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