略歴
体操選手として
幼少より朝日生命体操クラブに所属し、1984年に小学校6年生で全日本体操競技選手権で2位に入り、翌1985年には全日本中学選手権、全日本ジュニア選手権、NHK杯体操選手権で優勝したのみならず、1986年には全日本体操選手権で史上最年少(当時)で初優勝を果たした。
1987年、全日本選手権の個人総合で2連覇し、世界体操選手権に日本代表として初出場。
1988年のソウルオリンピック、翌1989年の世界選手権にも日本代表として出場した。
1991年に日本体育大学体育学部に進学し、全日本学生選手権で4回の団体優勝、2回の個人総合優勝を果たし、1993年にはユニバーシアード団体で銅メダルを獲得した。
大学卒業後の1995年には、ふくしま国体で瀬尾京子と共に団体優勝を果たしたが、腰痛を抱えていたこともあって現役を引退。
タレント・歌手として
引退後は読売ジャイアンツのマスコットガール「ファイアーガールズ」としての活動を経てタレント活動していたが、1998年にテレビ番組『ASAYAN』の「つんくプロデュース芸能人新ユニットオーディション」に応募し合格。稲葉貴子、小湊美和、RuRuとのグループ「太陽とシスコムーン」で『月と太陽』をリリースしデビュー。オリコンチャート4位を獲得した。
太陽とシスコムーンは「T&Cボンバー」に改名したのを経て2000年に解散。その後はタレント活動は継続しつつも、体操のインストラクターや解説者として活動。一時期、ハロプロメンバーがステージでアクロバットを披露していたことがあったが、その際の指導役も務めている。
2013年より度々、太陽とシスコムーンとして1夜だけの復活をしていたが、2024年には結成25周年ツアーを、芸能界を引退したRuRuの代わりにハロプロメンバーを加えて行った。