概要
南部イエメンは18世紀ごろから反乱が相次ぎ無数の首長国が出来ており、オスマン帝国の統治が及ばない状況になっていた。ここに付け込んだイギリスが1839年にアデンを占領し無数の首長国を保護国とし、イエメンは南北に分断された。1959年に首長国をまとめて南アラブ首長国連邦が作られ、さらに1962年には将来的な独立の為に大幅な自治権を付与した南アラビア連邦を建国した。しかし1967年に社会主義を掲げた南イエメン民族解放戦線によって革命がおこり南イエメン人民共和国が建国された。その後急進派が実権を握りソ連の影響を強く受けた。1978年に民族解放戦線は北の地下組織と合同してイエメン社会党と改称し、同時にイエメン人民民主共和国としてイエメン全土の支配権を主張した。
ペレストロイカによってソ連はイスラム圏から全て撤退するとソ連のアフガニスタン撤退のとばっちりを受ける形で政権が行き詰ってしまい、1990年に北イエメン主導で南北無血統一となった。
北のあまりの腐敗ぶりに反感を抱いた南部は1994年にイエメン民主共和国として再分離を目標とするがサウジアラビアが支援を出し渋ったため国際社会から認められていた北に敗北してしまった。
しかしその後も独立運動は続き、2015年からのイエメン内戦で社会党にとどまらない広範な独立運動組織である南部運動が南部イエメンの要所を支配し、アラブ首長国連邦の支援を取り付けて、暫定政府「南部暫定評議会」を樹立している。