プロフィール
経歴
中京大学に入り、卒業後は地元広島の中国電力に就職。陸上部を立ち上げ活躍したが、故障により5年間で引退。
その後10年間サラリーマン生活を送っていた(かなり成績は良かったらしい)が、2004年に退社。
28年間箱根駅伝と縁のなかった青山学院大学の陸上部監督となり、「3年で出場、5年でシード権(10位以内)、10年で優勝争い」と約束して監督となる。
3年目の2006年は予選16位(予選通過は10位まで)に沈み、この時退任の危機にも陥ったが、その2年後には学連選抜を率いて(予選の次点チームの監督が率いる)4位に入って枠を広げ、翌年記念大会ゆえの増枠に乗っかり33年ぶりの出場を成し遂げる。
その時は最下位であったが、翌年には8位に入り41年ぶりのシード権を確保。その後2012年に行われた88回大会では過去最高の5位に入るなど5連続でシード権を守り、同じ年の出雲駅伝で学生三大駅伝初優勝。
そして2015年の第91回大会にて、史上初めて10時間50分を切り2位の駒澤大学に10分以上の大差をつける圧勝で箱根駅伝初制覇。結果として「5年で出場、6年でシード権、11年で優勝」となった。
その後も2017年シーズンで全日本大学駅伝も含め三冠制覇を達成、2018年には4連覇を成し遂げるなど大学駅伝界の中心に立っている。
○○大作戦
駒澤大学の大八木弘明監督の「原点と挑戦」、東洋大学の酒井俊幸監督の「その1秒を削り出せ」、古くは瀬古利彦選手が修行僧と呼ばれたように箱根駅伝には古くからいかめしい形容が目立つ中、原晋監督は第91回の箱根駅伝にてぶち上げた。
その名も、「ワクワク大作戦」。
およそ箱根駅伝らしからぬそのネーミングに圧倒される中、上述したような凄まじい結果を出した事によりたちまちにして時代の寵児となり、その後は単独でのテレビ出演も増えている。
まあ箱根駅伝のランナーたちがこんな事やあんな事をやるようなご時世である以上現代的とも言えるのだろう(なお愛弟子の一人はアイドルマスターの彼女にお熱である)。