概要
中学時代は野球部に在籍していたが、四日市工業高校進学後に本格的に陸上部へ転向。
早稲田大学教育学部へ進学するとそれまでの中距離走だけでなくマラソンも始め、1977年12月の福岡国際マラソンでは当時日本人最高の5位で入賞、翌1978年の同大会では初優勝を決める。1980年にはモスクワオリンピックの代表に選出されているが、アフガニスタン紛争の一件で日本人選手全員が出場をボイコットしている。
1984年のロサンゼルスオリンピックでは代表入りを逃し、1988年のソウルオリンピックでは代表入りしても9位止まり。波乱万丈の陸上人生でオリンピックのメダルに縁がなかったものの、マラソンの通算成績は実に15戦して10勝。このうち4回は福岡国際マラソンでの優勝だった。1988年現役引退。
- 引退後はエスビー食品の陸上部監督、早稲田大学競走部のコーチ、DeNAの陸上部監督などを歴任。陸上競技解説者としての活動も行っている。
- 息子は4人。長男はホジキンリンパ腫を患い、闘病生活を綴った「がんマラソンのトップランナー」を文藝春秋より出版、2021年に早世している。次男は元プロ野球選手・山本昌広(山本昌)の娘婿。
自己ベストタイム
3000m | 7:54 |
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5000m | 13:24 |
10000m | 27:42 |
20000m | 57:48 |
25000m | 1:13:55 |
30000m | 1:29:18 |
マラソン | 2:08:27 |