大一大万大吉
だいいちだいまんだいきち
戦国時代の大名・石田三成が旗印として使用していたとして広く知られ、本人の肖像画の裃や慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを描いた屏風絵、および当時の石田軍の足軽甲冑にも確認されている。
意味合いとしては「一人は万人のため、万人は一人のために行動すれば、人々は幸福(吉)に成れる」とされている…が、これは近代研究における見解であり、本来の意味を裏付ける史料は現在も発見されていないという。
なお、この言葉自体が確認されたのは意外にも平安時代まで遡り、三浦一族・蘆名為景の子である石田為久が、乱暴狼藉を働いていた木曽義仲を討ち取った際に同じく旗印として使用していた。三成は、為久と同じ石田姓であることや、関ヶ原では徳川軍を前述の義仲に例え為久の勧善懲悪エピソードの再現として同じ旗印を用いたのではないかとも推測される。
家紋か旗印か
この大一大万大吉を「石田家の家紋」と認識されることがあるが、上述通り旗印として掲げていたことは事実であるものの、石田氏がこれを家紋として定めていたとは断定できない。
実際に石田氏が使用していた家紋として「桔梗紋」や「九曜紋」などが挙げられている。余談だが、桔梗紋はかつて三成の主君・豊臣秀吉が仕えた織田家に反旗を翻した明智氏と、九曜紋は関ヶ原で敵味方となった細川氏と同紋であったりする。
書き方
三成に携わる様々な史料でその言葉が使用されていることは上述したが、その文字の構成は一貫されていない(これが家紋と断定しかねる要因の一つでもある)。
基本的に「大一」「大万」「大吉」の二字ずつで区切られ、「大一」を頂点に文字を山型に構成しているもの、「大吉」を土台に逆三角形に構成しているもの、単純に縦書きにしているものなど様々なバリエーションが存在するが、Pixivにおいては概ね「大一」を頂点、「大万」を下部左、「大吉」を右に置いた構成が主流となっている。