→阪急バスの記事も参照。
概要
1950年に阪急電鉄が発起人となって関西大手私鉄5社の共同経営として設立された「関西観光自動車」が源流。観光バスだけでなく、大阪(伊丹)空港~大阪市内の空港送迎バスを行っていた。
後に共同経営していた各社が自前で貸切バスを運行するようになったことで、1954年から阪急単独資本となり、1962年に一旦阪急バスへ吸収合併された。
これにより関西観光自動車が運行していた伊丹行空港バスも阪急バスの運行になったが、日本航空と阪急バスが空港連絡バス専属会社の必要性を感じたため、1963年に日航と阪急バスの共同出資で大阪空港交通が設立された。
その経緯上、当初は日本航空の支店・営業所と伊丹を結ぶ路線を運行し、利用者は日本航空の利用者と見送り客・日航社員に限定していたが、1970年から日本航空利用者限定制限を撤廃した。
関西国際空港開港後は関空発着路線にも進出している。
2007年に日本航空が同社の株式35%を阪急バスに譲渡したことで阪急バスの子会社となった。
以前は貸切バスも運行していたが、2020年に廃止している。
2022年7月1日、旧・阪急観光バスを吸収合併し、新・阪急観光バスへ社名変更したため、大阪空港交通の名は消滅した。
車両
国内バスメーカー大手4社全社から導入していたが、日野と三菱ふそうで全体の8割を占めていた。
2004年式までは空港路線用は三菱ふそう・MSシャーシ+西工車体の組み合わせが一般的だったが、ごく一部純正を架装する例もあった。2005年式以降はMSシャーシに西工ボディが載せられなくなったため純正オンリーに切り替えており、エアロエースの市販開始後はエアロエースも積極導入しており、これは現在の阪急観光バスにも受け継がれている。
東京空港交通などと違って荷物量の多い空港路線でも長らく床下トランクが2スパンのみのサブエンジンエアコンを採用していた。