概要
別名火車輪城。
織田信長が美濃攻めのために小牧山(飛車山)に築いた城。
古くは寺院があったとされる。
築城奉行は丹羽長秀が務めた。
清洲から小牧山への本拠地の移転は家臣の多くが反対であったとされる。
その際信長は一計を投じ「小牧山かそれより北の二ノ宮山に移転する」と通告すると「小牧山のほうがまし」として満場一致で移転できたとされる。
使用されたのは4年程であり、150年栄えた清洲からの移転ということもあり近年まで「飽くまで陣城程度の急造の城」という見方があったが、近年の調査では織豊建築の祖にして日本初の本格的な城下町を持つ城として認知されるようになってきた。
周囲は石垣で囲まれていたともされる。
信長が本拠地を稲葉山城に移した後に廃城となった。
1584年、豊臣秀吉と徳川家康の間で起こった「小牧・長久手の戦い」では家康がいち早く城跡を占拠し、ここに陣城を張ったとされる。
同じくここを陣城として利用しようと考えていた秀吉は先を越され大変悔しがったとも言われる。
家康はさらに空堀などを築きその高い防御力で秀吉方を苦しめたという。
江戸時代には幕府によって「御陣跡」とされ一般人の入山は禁止された。
2017年には続100名城に認定された。