概要
本名:山下 啓次郎(やました けいじろう)。
14歳の頃にウイリー沖山に弟子入り、沖山のバンド ブルーレンジャーズの〝ボーヤ〟を務めた。
1957年、マウンテンボーイズの残党とサンズ・オブ・ドリフターズ(リーダーは岸部清、後の第一プロ社長)に参加、ボーヤではなくロカビリーシンガーとなる。
マナセプロダクションの曲直瀬信子から熱烈に誘われ、ウエスタン・キャラバンのメインボーカルとして引き抜かれる形でバンドを移籍。
1958年2月に開かれた第1回『日劇』ウエスタンカーニバルにウエスタン・キャラバン(他のシンガーは岡田朝光、菊地正夫)の一員として出演。
マナセプロからの独立騒動が起きるが、山下はこれに追従せず、自分のバンドとしてギターの三上定雄と共にレッド・コースターズを結成。時を同じくしてマナセプロの同系である渡辺プロダクションに移籍することとなった。この頃から付き人を井澤健(後のイザワオフィス社長)が務めた。
1960年に入るとバンドは三上定雄とレッド・コースターズとして山下から離れ東洋企画に移籍、代わりに新バンドのザ・コースターズを結成。
1960年代後半は完全にフリーになり仕事も激減、
1972年にはミッキー・カーチスのプロデュースにより平尾昌晃、ミッキーとアルバム「蘇るロカビリー三人男」を吹き込んだ。
2008年には第50回日本レコード大賞功労賞を受賞。
2011年1月5日に胆管がんによる腎不全のため東京都町田市の病院で死去した。