概要
生没年:1983年8月21日 - 2009年7月28日。
山口母親殺害事件、大阪姉妹殺害事件の犯人で元死刑囚。
生い立ち
父親は様々な職を渡り歩いていたが、酒癖が悪くしばしば妻や悠紀夫に対し暴力を振るっていた(悠紀夫自身は父のことが好きであった)。
悠紀夫が小学5年生時に父親は肝硬変(アル中)で死亡。
小中学校とイジメられ、「悪魔」と呼ばれたりしており、中学2年の頃から不登校気味となり、中学3年には3分の2近くを欠席し、修学旅行も欠席。
母親には買物依存症など様々な借金(500万 - 1000万円程度詳細不明)があり、借金取立てに迫られたり、家賃や水道料金を滞納していた。
生活保護も申込んだが認可されなかった。少年は進学出来ず中卒で、暫く就職先が見付からなかったが、知人の紹介で新聞販売店で働き始めた。
収入約9万円のうち半額を家に入れていた様である。母親には再婚話が浮上。
少年は、「俺は邪魔」と1人暮らしを計画。
その最中、少年が交際したいと考えていた女性の携帯電話に母親が無言電話を掛けていたことが判明した。
少年は母親に勝手に無言電話したことを問い質したが認めず、母親が少年に対し「出て行け」などといったことに腹を立て、借金のことも絡んで口論となり、頭に血が上った少年は金属バットで母親の頭・顔・胸などを殴り倒し母親を滅多打ちにし殺害した。
その後、少年院出所後の2005年2月頃から、パチスロ機を不正操作しコインを盗むグループに加わるが(少年は、ゴト師グループとして窃盗事件で逮捕され起訴猶予処分で釈放)、グループが福岡から大阪に活動拠点を移した同年11月には稼ぎが上がらず、「離脱したい」(役に立たず追出された説もある)旨を仲間に伝え、活動拠点のマンションから外に出た。
離脱後、近くの境内や公園などに野宿をしていた。
真面目に働いても、人と交際しても、犯罪しても何も為せなかった少年は次第に腹が立ち、「どうせなら、やりたい事をやってしまおう」と考えた。
そして「母親を撲殺したときに快感を覚えた」ことを思い起こして、”人を殺したい” という気持ちが高まってきた。「殺す相手が女性なら、強姦してしまおう。金を持っていたらそれも奪おう」と悪魔の所業を実行するに至った。
大阪姉妹殺人事件(強姦、放火、強盗含む)
2005年11月17日、隣接するビルの配管をよじ登り、山地は姉妹のマンションにベランダから侵入。
帰宅した姉妹に暴行とナイフで重傷を負わせ、強姦した後に殺害。更には貯金箱などを奪った後、現場に放火した。
皮肉にも放火によって直ぐに事件は発覚。18日後に付近に居た山地は逮捕されるが、盗んだ金で以前の交際相手とデートしたり、カードショップで遊んでいたという始末だった。
逮捕後は「母親を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかった」と快楽殺人を主張し、
「楽しくてワクワクした。ジェットコースターに乗っているような興奮を感じた」「反省しているかと言えば答えはノーです」「死刑でいいです」
などと言い放った。
送検される車内から報道陣のカメラに不敵な笑みを浮かべるなど、世間を騒然とさせた。
しかしながら、「事件を起こしてから証拠隠滅や逃走が雑」「監視カメラにも平気で写っている」「死刑を望んでいる」などの点もあり、現在では快楽殺人に関しては否定の意見も多い。
『不幸な境遇に立ち向かう事が出来なかったから自暴自棄になり、死刑にたどり着いて人生に「さよなら」したかっただけ』とも言われている。
姉妹の遺体は放火もあって損壊が酷く、娘を皆殺しにされた遺族の怒りは筆舌に尽くし難いものがあった。現場検証の際、被害者の母親は山路に復讐しようと襲い掛かったが警察に遮られた事もあって未遂に終わった。
現在も姉妹の納骨はできていないと言う。
留置所での山路は常にトイレに座り込んで廃人化した。水を流さなかったので臭いが酷かったと言う。
2009年7月28日、大阪拘置所にて山地悠紀夫の死刑が執行された。