太田氏によって江戸城、河越城と共に15世紀に築かれたとされる。
ただし、近年忍城主であった成田氏が築いたとされる資料も見つかっており成田氏築城の可能性も高い。
当初は岩付城、という名前であった。
太田氏は北条に内通し、岩付城は北条氏が城主となった。
しかし1590年、秀吉の小田原攻めでは即日落城した。
江戸時代には徳川譜代の家臣が次々と城主となり、江戸中期に大岡氏が城主となり幕末まで存続した。
岩槻城は沼地に築かれた総構えの城であり江戸時代としては珍しい構造であったとされる。
毎年4月29日には岩槻ながしびなが行われるが、現在のひな祭りの起源とも言われている。