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プロフィール編集

全名貴子
称号清宮
出生昭和14(1939)年3月2日、東京府東京市
配偶者島津久永
父親昭和天皇
母親香淳皇后
子女島津禎久
主な経歴プリンスホテル取締役

概要編集

島津貴子とは、昭和天皇の第5皇女であり、元皇族である。昭和35年に日本輸出入銀行員で、旧佐土原藩主伯爵家・島津久範伯の次男・島津久永と結婚し皇籍を離脱(降嫁)。


この時既に次姉の和子内親王が内親王としては88年ぶりに降嫁、三姉の厚子内親王は内親王・皇女としては初めて五摂家などに当たらない元大名家の池田家に嫁いでいたが、貴子の夫となる久永には兄・忠韶がおりこちらが佐土原藩主家の継嗣であったため、旧華族制度下では有爵者と見なされない人物への降嫁は、傍系の女王を含めても史上初の出来事であった。

なお、久永は島津宗家の血も引いており(久範は宗家・島津忠義の七男であったが、佐土原家・忠麿の長女と結婚し娘婿として同家を継承)、同じく忠義の孫にあたる香淳皇后は、久永にとって姑であると同時に従姉にも当たる。


1964(昭和39)年4月29日、生存者叙勲の再開により、内親王の身位を遡って勲一等宝冠章を授与された。


姉たちと異なりマスコミ露出にも積極的で、新婚旅行では夫の故地・佐土原藩のあった宮崎県(皇室発祥の地でもある)を訪れたことにより、その後暫く宮崎県が新婚旅行のメッカとして注目される切っ掛けにもなった。御称号の「清宮(がのみや)」名前の「貴子(かこ)」から「おスタちゃん」の愛称でも知られた。


また、1962(昭和37)年、久永との間に一子・禎久を儲けている。降嫁した内親王の子が生まれたのは、二条吉忠以来273年ぶりの出来事であった。


現在、降嫁した内親王としては姉・厚子に次ぐ2番目の高齢であるが、姉の引退時には既に姪に当たる清子内親王も降嫁していたため、戦後は降嫁した皇女が継承している神宮祭主職はそちらが継承している。


関連タグ編集

皇室皇族昭和天皇香淳皇后内親王

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