概要
明治・大正期の政治家で大正7年(1918年)9月28日から大正10年(1921年)11月4日まで総理大臣職に就いていた原敬(はら・たかし)につけられていた異名。
「平民」の由来は、盛岡藩の家老を勤めるほどの家柄であった原家が、明治維新後、20歳ころに分家し戸主となった原敬が「平民」籍に編入され、総理大臣就任後も原敬が華族の爵位を固辞しつづけたことによる。
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