戦国時代までは、武士とは建前上、馬に乗ったまま戦う技術と戦場で馬に乗れる権利を有した専業兵士のことであり、
馬に乗れる権利を持たない兵士は、どこまでが武士だったか、武士でなかったのかは曖昧である。
歴史
平安時代中期に登場した武士は馬上戦闘を生業とする専業兵士であり、当然合戦では騎兵として戦うのが基本であった。当時の武士は純粋な騎兵ではなく、状況によって歩兵として戦うこともあったが緊急事態か船上戦や室内戦などの数少ない状況のみであり頻度は低かった。
ところが源平合戦以降、戦争の大規模化によって正規の武士ではない者たちが武士として戦いに参加するようになり、時代が下るごとにその割合は増していった。もろちん武士の質は低下していき、やがて室町時代には馬に乗りこなせない武士(?)が現れるようになった。
それだけでなく鎌倉時代時代末期~室町時代初期に起きた南北朝の動乱以降、市街戦や山岳地帯の城をめぐる攻防戦が戦争の主体になったこと、参加兵士の増加に対して馬の供給が追いつかなくなり貴重さが増していったこと、馬に乗らないまま弓矢を使うようになったこと、など様々な要素が重なり、正規の武士たちも歩兵として戦いに参加することが増えた。
戦国時代になると、特に西日本では馬はあくまで移動手段と割り切られ、歩兵(徒歩武者)として雑兵足軽とともに戦闘に参加することが当たり前となる。東日本でも同様だが、騎兵として戦いに参加する比率は西日本よりも高かったらしく、戦国時代の教訓をまとめた『雑兵物語』の一節には、「西国(西日本)の武士は船での戦いは得意だが、馬に乗って戦うのが苦手である」としており、「東国(東日本)の武士たちは馬に乗って戦うのが得意だが、船に乗って戦うのが苦手である」といった感じの内容が書かれている。
(戦国時代に来日したボルトガル宣教師の報告書から、日本人は移動では馬に乗り、戦場に着くと馬から降りて戦うのが主流だったという言説があるが、ボルトガル宣教師の見聞・記録範囲はあくまでも関西や九州地方に限られることに注意されたし。)