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騎馬武者」とは,に乗った武士のことをいう。

鎌倉時代騎射もよく行われたが、後にはあまり行われなくなった。

騎射の訓練から神事として残ったのが流鏑馬である。

戦国時代には槍などを振るって戦うことが多くなった。

末期には馬上筒と呼ばれる火縄銃の短銃も用いるようになった。


武士の時代を通じて馬そのものが貴重であり、室町時代からは武士といえどもある程度の地位でないと馬を持てないことも多くなった。→徒歩武者


映像作品では編集

時代劇ではサラブレッドに乗っているが、これは大正時代の人がプリウスに乗っているぐらいありえないので注意。

武士たちの時代の日本馬ポニーくらいの大きさだったと言われ、現代日本の馬の体格が大きくなったのは明治以降に陸軍騎兵隊のために西洋馬を移入して大型化を図った結果である。

当時の武将の平均身長は158㎝程度(石田三成徳川家康もこのくらいだったことが判明している)だったと言われ、体格の向上した現代人の俳優が演じる武者をポニーに乗せても絵面的に今一つなのと、文字通り馬力不足になるため、サラブレッドに乗せている。

余談編集

日本馬の大きさ編集

武士達の時代の日本馬は、体高130cmが平均だった。

(体高とは蹄から首の付け根ぐらいまでの高さのことである。)

これはユーラシア大陸の草原馬としては標準的なサイズである。これは日本馬は古墳時代に大陸から輸入してきた馬の子孫であるためでもある。

日本馬の実験編集

騎馬武者が乗っていた馬の中でも、その代表格となるのが木曽馬である。この木曽馬はサラブレッドよりも小型であるため、

重武装の兵士を乗せたまま、実際に走れたのかという疑問がありテレビ番組や保全団体など、それぞれの機関で走行実験が行われている。

実験例1編集

NHKが行った実験では、当時の馬に近い体格の馬に45kgの砂袋をくくりつけ、某大学の馬術部員を騎手に走らせたところ、

実験開始から10分ほどで大きく首を振り、走るのがやっとの状態になったところで実験は終了した。走行速度は分速150mで、

時速に換算すると時速9km程度(だいたいランニングと同じ速さ)だったという。なお実験に使用された馬は日本馬だったかは不明である。

実験例2編集

紅葉台木曽馬牧場の監修及び協力を務めた実験では、木曽馬に当時のものを再現した馬具及び甲冑を着込んだ騎手の計約101kgを乗せ、鳴沢村の未舗装道路を約2.99km走らせたところ、9分26秒で走破した。平均時速は19km程度(マラソントップランナーよりやや遅い程度)だった。


関連イラスト編集

鎧武者鏑矢

伊達政宗/再起梶原景時絵馬(鷲宮神社)

騎馬武者駆

1570年8月9日”つはもの”近江の桜





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 騎馬

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