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概要編集

部下指揮する立場の無い、一番下っ端兵隊のこと。

転じて、取るに足らないものの事。


似た存在に足軽がおり、両者の違いは足軽は武士の正規の配下で身分は百姓であるのに対し、雑兵はその戦闘限りの傭兵である。ただ、厳密な定義はないため、一緒くたにまとめられることもある。他、下人(げにん)や小者(こもの)とも呼ばれた。


その構成は食糧難に喘ぐ百姓やゴロツキ、身寄りの無い乞食等の自主参加が主であり、彼らの目的は、第一に軍から出される飯である。最初の数日間は、自前で飯を用意する必要があるが、その後は雇い主が雑兵を食べさせるのが当時の慣例であったため、一度、戦の陣触れが出れば、近隣の食い詰め者は喜んで馳せ参じたという。


また、手柄を立てることがほぼ無い代わりに、その戦闘に勝った際は略奪が許されており、敵兵の持つ武具や、近隣の人里からの食糧や金銭の略奪、奴隷狩りが雑兵の収入源となった。彼らにとっては軍功を挙げることは二の次三の次だった。

(勿論、これは攻める側の話である。)


敵軍にとっては、雑兵は邪魔な存在であるが、だからといって首をとっても手柄になる事は少ないので、逃げるなら見逃されることも多かった。雑兵を雇う殿様にとっても、普段は田畑を耕す農民である雑兵を盛大に処罰すれば、敵側に離反される恐れもあったため、勝手気ままに動き、逃げる事も多い雑兵の扱いには、頭を悩ませることも多かったという。


とは言え、戦のことなので危険なことには変わりなく、信濃国の事情を記した「勝山記」によれば、武田家が天文16年(1547年)に志賀城へ攻め込んだ時には、討ち取った三千人の雑兵の首を城の周りに並べ、志賀城の士気を削いだとされる。


仮に戦場から逃げ延びられても、落ち延びる雑兵を助ける奇特な者は多くないので、常に飢えとの戦いとなる。また、自分の村に帰るまでは、落ち武者狩りの危険もあった(雑兵であっても粗末ながらを持ってることは多かったので、それらが狙われた)。


このほかに山賊・海賊、果ては野武士など多岐にわたり、雑兵=百姓というわけでは無い。

(室町時代以前はだいたい同一視されていた。)


関連項目編集

兵士 足軽 雑魚 戦闘員

重野なおき - 雑兵を主役にした「雑兵めし物語」を連載。

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