試合は死に合いに通じる
合気道 開祖 植芝盛平
概要
文字通り命を懸けた戦いのことで、「死に合う」「殺し合う」という意味合いがある言葉である。
かつては戦(いくさ)などにおいて、武人通しで行われる当時の美学からの名誉を懸けた戦い対しても、こう称されていたとされる。
「試合」と「死合い」
武術とは本来、「向かってくる敵を倒す」「己や他者の身を守る」ためのものであり、事と次第によっては相手の命を奪うことも厭わずに行う必要があった。
一般に『護身術』と呼ばれる類のものは、それを前提に発展したものである(可能な限りそうならないように改良されているが)。
『試合』とは、そうした武術に安全を考慮して約束ごと(ルール、禁じ手)を設けて、スポーツ競技として成り立たせたものであり、その上で技を競い合って、勝った者は充実し、負けた者は勝てるよう努力するため、結果として双方が互いを高め合い充実するという切磋琢磨の関係を築くというのが、現代の主な考え方となっている。
それも間違いではない。しかし、必ずしもそうなるとは限らず、下手をすると驕りや屈辱感から憎しみや蔑みによる悪い関係も生まれかねない面もある。
また、そうして禁じ手を設けてしまうことで、試合に勝つための技術ばかりが養われ、武術の本質である「危険から身を守る」という側面が失われてしまい、命を奪う危険性がある故に肝に銘じるべき心得なども形骸化してしまうという声もある。
上述したように合気道の開祖である植芝盛平翁の言葉は、武術のそうした危険性を考慮し、試合とは下手をすれば“死合い(命の奪い合い)”になりかねないと危惧したことから、合気道の中で試合を禁じた際のものである。
関連タグ
豪鬼(ストリートファイター):この言葉を盛んに使用する。