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熊谷守一

くまがいもりかず

明治~昭和時代の画家。存命中から仙人・画仙などとよばれた。

日本の洋画家。日本画書道も描いている。

1880年岐阜県に生まれる

裕福ながら複雑な家庭に育ち、大人への不信から世俗的な富や出世に関心を持たない人間に育った。

東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画家専科卒業。同輩に青木繁がいた。

調査隊のスケッチ担当として出かけた樺太でアイヌの生き方に出会い感銘を受け、画家としての栄達の道を放棄してしまう。30代の6年間を郷里で暮らし、そのうち二冬を山で切り出した木を筏で流す日雇いをしてすごす。上京し二科展に毎年作品を発表する。この頃の熊谷は技巧に優れた正統派の油絵画家として知られていた。

42歳で結婚し次々と子を儲けるも、納得できない絵は描かない極度の芸術家気質から大変な貧乏暮らしを送る。チェロやヴァイオリンや三味線、書や墨絵などに熱中するが、なかなか絵は描けなかった。

昭和30年代以降には、画壇活動もスケッチ旅行も止め家に引きこもったまま一歩も出なくなり、わずか15坪の小さな庭で虫や草花、猫、魚、鳥たちと親しむ生活を送る。この頃から絵面は極度にシンプルになり、具象画でありながら抽象画に通じるような、洋画でありながら日本画にも見えるような唯一無二な作風を確立。その風貌から『仙人・隠者』と呼ばれ、その画仙的生き様は多くの文化人を魅了する。

86歳の時に文化勲章に内定するもなんと、守一は『これ以上人が来てくれては困る』と固辞した。ただただ一途に自由に自分の時間を楽しむことだけを望んだ生涯だった。1977年、97歳で大往生。

郷里の岐阜県付知町に熊谷守一記念館、池袋自宅跡に熊谷守一美術館がある。

名言

『(樺太アイヌに出会って)彼らは漁師といっても、その日一日分の自分たちと犬の食べる量がとれると、それでやめてしまいます。とった魚は砂浜に投げ出しておいて、あとはひざ小僧をかかえて一列に並んで海の方をぼんやりながめています。なにをするでもなく、みんながみんな、ただぼんやりして海の方をながめている。

ずいぶん年をとったアイヌが二人、小舟をこいでいる情景を見たときは、つくづく感心しました。背中をかがめて、ゆっくりゆっくり舟をこいでいる。世の中に神様というものがいるとすれば、あんな姿をしているのだな、と思って見とれたことでした。

....結局、私みたいなものは、食べ物さえあれば、何もしないでしょう。犬もそうだ。食べ物さえあれば、寝そべっているだけで何もしない。あれは、じつにいい』
(『へたも絵のうち』)

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